ブッダの弟子

ブッダの弟子アナンダはどんな人?美男子(イケメン)でモテた?

ブッダの十大弟子の中で最も有名なのが
アナンダではないでしょうか?

日本では「阿難(あなん)」と呼ばれたりしますが、

「アーナンダ」という言い方もあります。

聖☆おにいさんのマンガにも欠かせないキャラ
としてよく登場しますが、
実際にはどんな人物なのでしょう?

今回は、
実際に語り継がれるアナンダをご紹介したいと思います。

(ブッダの弟子シリーズ)
     
ブッダの弟子サーリプッタはどんな人?天才すぎて修行いらず?

目連(モッガラーナ)とは?超能力者で死に方が悲惨だった?

ブッダの弟子・ラーフラがトイレで寝る理由は?どんな人?

アナンダはブッダ(お釈迦様)のいとこだった!

実は、アナンダはブッダのいとこです。
同じ釈迦族の出身です。

いとこといっても、
アナンダはブッダよりも30才近く若くて
年齢差がありました。

アナンダが出家したのは、ブッダの名前が故郷にまで
聞こえるほどの凄い人だという事から、

釈迦族の若者達の間で「ブッダの弟子になろう」と
7人が立ち上がった内の1人でした。

その時のリーダーであったアヌルッダも、
ブッダのいとこにあたり、後にアナンダと同じ
十大弟子の1人になります。

実はディーバダッタと兄弟!

ブッダの命を狙い続けた、数々の悪名高い
ディーバダッタ(提婆達多)という男がいますが、

アナンダとは兄弟という間柄でした。
諸説ありますが、

兄がディーバダッタ、弟がアナンダで言われること
が多いようです。(逆の場合も有り)

アナンダはブッダの敏腕秘書!?

釈迦族から一緒に出家した
若い釈迦族の仲間の中で、アナンダが一番の年少者でした。

そんなアナンダは、ブッダが悟りを開いて20年経った
ある日、その若さ故に思いもよらぬ重要な役に
就くことになります。

年を取ったブッダが付き人募集!

ブッダが55才の時に、これまでは何でも自分で
やってきたけど、やはり年をとると辛い‥

ということで、だれか侍者が欲しいと言います。

弟子たちが相談して推薦したのがアナンダでした。

アナンダとその当時25才くらいだったと考えられます。

ブッダも

「アナンダならいいな」

と喜びましたが、当のアナンダは、
これに条件をつけます。

・ブッダから食べ物・衣などの品を
自分へ分けないで欲しい。

 

・自分からブッダへ品を差し上げる事はOK

 

・よその国からブッダへ訪問者が来た場合は
自分が取り次ぐ事

 

・自分が不在中のブッダの説法は、
必ずあとで直々にブッダから聞きたいという事

 

なんだか随分勝手な内容に聞こえますが、
アナンダは、他の弟子からねたまれるのを
防ぐことと、

しっかりとブッダの秘書役を果たしたいと
考えたのではないでしょうか?

若かったアナンダは、その後ブッダが
亡くなるまでの25年間、

常に影の様に従い、あれこれと献身的に
ブッダの身の回りのお世話もしたそうです。

アナンダはとびきりの美男子!


出典:2.bp.blogspot.com

記憶力がよくて、ブッダの秘書役として常に側で
仕えていたアナンダですが、

十大弟子の中で最も若く、美男子だったので、
女の人にとてもモテていたそうです。
(本人はブッダの教え一筋でしたが‥)

 

美男子ゆえに困った問題も‥

 

アナンダは熱心な修行僧でしたが、
出家後も女性の誘惑が耐えず、

ブッダもそれに困ってしまうほどでした。

ブッダの説法は、一般の女性信者でも聞くことが
できたのですが、
女性信者達は、説法を耳では聞いているものの、

その視線は色男のアナンダに釘付けだったようです。

アナンダはとても優しかったので、その女性達を
追い返す事もできず困ってしまいました。

そんな事があった後、ブッダと二人きりになった
アナンダは、ブッダからこう言われました。

 

「お前は女性を見てはいけません。

もし、目が合っても声をかけてはいけません。」

 

と、注意されたそうです。

 

アナンダのおかげで女性の出家が許された?

 

そんなモテ男のアナンダですが、
情に厚い性格を持ち合わせていました。

夏のある日、

托鉢(たくはつ)に出たアナンダは、喉が渇き
井戸で水を汲んでいた娘に水を下さいと頼みます。

するとその娘は、

 

「私にはそんな資格はありません‥。」

 

と、アナンダの頼みを断ります。

その娘は、今も根強く残るカースト制度でいう、
奴隷(シュードラ)よりもさらに下の階級の
不可触民(アチュート)として暮らしており、

そんな娘にアナンダは、さらにこう言います。

 

「私はブッダの弟子です。身分など気にしません。」

 

そんなアナンダの優しさに娘はすっかり虜と
なってしまいます。

恋心を抱かれたアナンダは追いかけまわされてしまい、
ほとほと困り果てて、ブッダへ相談をします。

するとブッダがその娘にこう言いました。

 

「そんなにアナンダが好きで
妻になりたいなら、
アナンダと同じ格好をしなさい。」

 

すると娘は喜んで出家しました。

そうして修行に励むうちにアナンダに対する
「色欲=煩悩」は消え、立派な尼僧となったのです。

実は女性の出家を許さなかったブッダ


出典:4.bp.blogspot.com

またまた女性がらみのお話しですが、
ブッダが初めて出家を認めた女性のお話しを
したいと思います。

その女性とは、「ブッダの育ての母」でした。

ブッダの育ての母であるその女性は、
ブッダとは叔母の関係でした。

(本当の産みの母親(マーヤ婦人)は
産後7日目に死んでしまいました。)

 

ブッダの叔母は、
自分が育てたブッダ(甥)が偉くなったと知り、

出家させてほしいと願います。

 

しかし、ブッダは叔母の出家を許すと、
煩悩の多い若い修行僧の修行の妨げになると
首を縦にふりません。

それでも叔母はブッダのあとを追って、
険しい道でもはだしで追いかけて歩き、

足は血だらけ、ほこりまみれの変わり果てた
姿となってしまいました。

 

ボロボロになってブッダのもとにたどり着いた
女性に対応したアナンダは、その姿に驚き、
ブッダへ報告しましたが、

それでもブッダは出家を拒みます。

すると、日頃は大人しくブッダへの忠誠心
を強く持つアナンダが、

この時ばかりはブッダへ言いました。

 

「修行に男女の区別はないはずです。

それでは不平等ではありませんか?」

 

と、つめよったのです。

 

結局ブッダのほうが折れて、
女性の出家を認めますが、

ブッダに意見したアナンダは、
それを聞いた兄弟子の
大迦葉(だいかしょう)=マハーカッサパから
こっぴどく叱られたという事です。

アナンダの背中の手術が凄すぎる!

「多聞第一」と称されるアナンダですが、
これはブッダの話をとてつもない集中力でよく聞き、
全てを記憶する能力がずば抜けていた弟子だったからです。

その凄すぎる集中力にまつわるお話しがあるのですが、

ある日、アナンダの背中に大きな腫瘍が
できてしまい、
そのせいで熱と痛みにうなされていたそうです。

切開して手術することになったのですが、
その手術中にもアナンダは
ブッダの説法を聞いていて、痛みも何一つ
感じる事無く、

自分が切開されている事すら気づかないほどの
集中力のまま手術を終えたというすごい逸話があります。

ブッダの死に泣き崩れたアナンダ


出典:1.bp.blogspot.com

アナンダは、十大弟子の中で一番悟りを
開くのが遅い弟子でした。

実は、アナンダが悟りを開いたのは
ブッダが亡くなった(入滅・涅槃)後です。

情に厚い面を持つアナンダでしたが、
アナンダがなかなか悟れなかったのは、

こうした情にもろい性格がいけなかったのかも
しれませんね?

ブッダの死因はキノコが原因

 

ブッダは死の直前にアナンダと数人の弟子を連れて
故郷へ向かう旅に出ます。

ブッダは自分の死期が近い事をすでに
悟っていました。

その途中の村でチュンダという鍛冶屋が
朝食をふるまってくれたのですが、

その料理の中に毒キノコが混じっていたのです。

ブッダは激しい腹痛・下痢に苦しみ、
旅を続けようとしたものの、耐えきれずに
アナンダを呼びます。

 

「アナンダよ、私は疲れた。

少し横になりたい。沙羅の木の間に北枕の

床を作っておくれ」

 

25年もずっと全ての身の回りのお世話をしてきた
アナンダは、ただただ悲しくて涙を流していました。

そんなアナンダにブッダは、優しく教えを説いて
息を引き取ったのです。

(お釈迦様の涅槃の様子はこちら)
      ⇩
涅槃会(ねはんえ)の意味や時期は?お釈迦様の入滅時の言葉とは?

泣きじゃくるアナンダと教団分裂の危機

 

アナンダはわんわん泣いて取り乱しました。

悟りをまだ開いていないアナンダは
自分をおさえる事ができずに、一緒に出家した
アヌルッダから慰められます。

他の弟子達にもブッダの死が伝わる中、
悲観にくれる弟子たちの中で、スバッタという
僧がこう言ったのでした。

 

「あの口うるさいブッダがいなくなった。

これからは戒律も少しは楽になるだろう」

 

その言葉に、ブッダ亡き後の教団を率いていく
リーダー的存在のマハーカッサパは愕然とします。

 

「何としてでも師の教えを守っていかなくては‥!」

 

こういった考えの僧が1人でもいる事を知った
マハーカッサパは、

教団がバラバラになる事を恐れて、
ブッダの教えをきちんと後世に伝えていく
事を誓いました。

そこで、ブッダの死(2月15日)から3ヶ月経った頃
ある「集会」を開きます。

経典作りの集会に参加できないアナンダ

マハーカッサパの集会に呼ばれた
499人の(マハーカッサパ含め)
阿羅漢(悟りを開いた修行僧の最高位)達が、

王舎城郊外の七葉窟(しちようくつ)へと
集合していました。

この集まりで、「経典編纂会議」といって、
ブッダの教えをまとめた経典作りが行われようと
していたのです。

もちろん、アナンダもかけつけたものの、
マハーカッサパによって

 

お前はダメだ!

 

と止められてしまいます。
まだ悟りを開いていなかったアナンダは阿羅漢
の位まで到達していなかった為です。

しかし、25年間ブッダの側に仕え、
記憶力に優れていた「多聞第一」のアナンダ抜きでは
経典作りはできません。

秘書役をしてきたアナンダは
他の誰よりもブッダの言葉を聞いているのです。

本人も参加したいし、他の阿羅漢たちも
アナンダの参加を願っていたのですが、
長老のマハーカッサパの言う事には逆らえません‥。

マハーカッサパは、さらに続けてこう言いました。

 

「お前はまだ悟りを開いていないし、

しかも師(ブッダ)に対して5つの大罪をおかした」

というのです。

アナンダのおかした5つの大罪とは?

1・女性を出家させたこと
(ブッダに頼み込んで女性を出家させた罪)

 

2・ブッダが脱水症状で苦しんでいた時にすぐに水をあげなかった罪

 

3・ブッダが亡くなる時に
「もっと長生きして下さい」と頼まなかった罪

(この時アナンダはラーフラ(悪魔)にそそのかされたという説も)

 

4・ブッダの衣をたたむ時に足で踏んだ罪

 

5・ブッダが亡くなった後、その陰部を尼僧に見せたという罪

 

以上の5つの罪を言い渡されたアナンダですが、
5番目の「陰部を見せた」はちょっと引っかかりますよね?

 

ブッダの体の特徴「三十二相」

 

アナンダがおかした罪の5番目にブッダの陰部という
びっくりする内容がありますが、

悟りを開いたブッダの身体的特徴として
「三十二相」というものがあり、

他の人とは異なる部分が32箇所あります。

その中の1つが「陰蔵相(おんぞうそう)」
もしくは「馬陰蔵(めおんぞう)」
といって、体内に陰部が隠れている状態なのだそうです。

そういう状態の意味としては、
多くの弟子をもっているということなのだそうですが、

その部分をアナンダは、ブッダが亡くなって
棺桶に入れる前の衣を変える時に、

誤って側にいた尼僧に
偶然見えてしまったのかどうかは
事実はわかりませんが、

とにかくそれを、マハーカッサパから「罪」として
お叱りを受けるのです。

悟れ!!アナンダ!!

叱られてその場から帰るアナンダは、

どうしたものかと一人で泣く泣く座禅を組んでいました。

会議は明朝‥。

悟りを一晩で開かないと会議には出席できない‥。

極限状態の中で疲れ切ったアナンダは
つい、ウトウトと倒れ込んでしまいます。

なんとその瞬間に奇跡的に悟りを開いたのです!

ぎりぎり間に合ったアナンダは
喜んで会議の場である石窟へと急ぎます。

待っていた大勢の阿羅漢達とマハーカッサパは
その顔を見るなり「よくやった!」とばかりに
中へ入れてくれたのでした。

お経の「如是我聞」はアナンダのこと!

さっそく経典作りが始まりました。

司会進行役のマハーカッサパは、アナンダを
指名して、

 

「アナンダよ、ブッダから聞いたことを

全て話しなさい。」

 

と言います。すると、「多聞第一」アナンダは

 

「私はこのように聞きました‥」

 

とえんえん語り続けたといいます。

皆さんがお経を聞いた時に、その出だしが

如是我聞(にょぜがもん)

で始まるのを聞いたことがあると思います。

この如是我聞は、「私はこのように聞きました」
という意味で、「私は=アナンダ」なのです。

浄土真宗では

仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)」

の始まりが、如是我聞・一時仏在舎衛国‥
と続いていきますが、

実はこういったお経は、アナンダが
記憶していたブッダ(お釈迦様)の教えを
語っているものなのです。

 

生前のブッダが、自分の教えを形にすることを
良しとしていなかったため、亡くなった後に
初めて弟子たちの手によって記録を残したのでしょうね?

ブッダの教団を引き継いだマハーカッサパでしたが
この集会から20年後に亡くなります。

その次に教団を引き継いだのはアナンダでした。

生前のマハーカッサパが教団の三代目を
アナンダに託していたからです。

 

アナンダはマハーカッサパ亡き後、
教団のトップに立ち、国王たちをも崇拝
するほど輝かしい活躍をしました。

十大弟子の中でも一番長生きで、ほぼ天寿を
全うしたのがアナンダではないでしょうか?

空中爆破という壮絶な最期のアナンダ

言い伝えとは、本当に面白いもので、

ブッダのお話しには神通力や、空を飛ぶ、

山が動く、火が噴き出す

という記述がよく出てきます。

 

アナンダの最期も劇的でした。

 

自分の死期を悟ったアナンダは、

死んだ後の自分の遺骨の争奪によって争いが

起きる事を心配したのです。

崇拝対象の徳の高い僧が亡くなった時に
その骨の一部を祀って仏舎利塔を建てる
事が多く、

後に大勢の人がそこへお参りする為、
亡くなった後に遺骨を分けていたそうです。

 

死ぬべき時が来た事を知ったアナンダは、

ガンジス川に船をこぎ出し、

その体が空に高く飛び上がり、火に包まれたというのです。

 

その瞬間、アナンダの骨は花火のように飛び散って

上空から川の両岸へと四方へ落ちて行ったそうです。

 

すごい最期ですが、こうした骨の分骨により、

骨が落ちた地にそれぞれ仏舎利塔が建てられて

左右の国に平等に分けられたということです。

 

とても普通ではない死に方ですが、

後の言い伝えや仏教学者、信者によって

こういった「アナンダ像」が現在に伝わっているのでしょうね?

ブッダの十大弟子はどんな人達?


出典:2.bp.blogspot.com

 

この十大弟子はブッダが決めたものではなくて、

後の仏教学者たちが大勢の弟子の中から
生前のブッダの教えを直接受け、
布教活動に貢献した者の代表として10人を選んだのです。

出家した順にブッダの十大弟子を紹介

 

1・舎利弗(しゃりほつ)

特徴:「智慧第一」

インド名:サーリプッタ

ブッダの弟子サーリプッタはどんな人?天才すぎて修行いらず?


 

2・目連(もくれん)

特徴:「神通第一」

インド名:モッガラーナ

目連(モッガラーナ)とは?超能力者で死に方が悲惨だった?


 

3・大迦葉(だいかしょう)

特徴:「頭蛇第一(ずだだいいち)」

インド名:マハーカッサパ

 


 

4・阿那律(あなりつ)

特徴:「天眼第一(てんげんだいいち)」

インド名:アヌルッダ

 


 

5・須菩提(しゅぼだい)

特徴:「解空第一(げくうだいいち)」

インド名:スブーティ

 


 

6・富楼那(ふるな)

特徴:「説法第一」

インド名:プンナ

 


 

7・迦旃延(かせんねん)

特徴:「論議第一」

インド名:カッチャーヤナ

 


 

8・優波離(うばり)

特徴:「持律第一」

インド名:ウパーリ

 


 

9・羅睺羅(らごら)

特徴:「密行第一」

インド名:ラーフラ

ブッダの弟子・ラーフラがトイレで寝る理由は?どんな人?


 

10・阿難(あなん)

特徴:「多聞第一」

インド名:アーナンダ

まとめ

出典:2.bp.blogspot.com

今回は、アナンダという人物だけを
ご紹介しましたが、

弟子の立場から見てみると、ブッダの周りに
どんな人がいたのか、どんなエピソードがあったのか、

スピンオフ的な視点て物語を見る事ができて
興味深いですね。

今後、さらに他の十大弟子についても調べて
ご紹介したいと思っています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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