hideの死因や後追い自殺の人数は?葬儀・告別式の当時の様子!

hideの死因や後追い自殺の人数は?葬儀・告別式の当時の様子!

hideの命日は1998年5月2日です。

hideの死後にファンになった方は、
その当時をよく知らない方も多いのではないでしょうか?

2018年には没後20周年を迎え、生きていたなら53歳です。

本当の死因は?なぜ死んだのか?

ファンの後追い自殺の人数は?

後追い自殺を止める為のYOSHIKIの緊急会見や葬儀での弔辞、

Toshi、PATA、HEATHの記者会見の言葉、

あの時何があったのか?Xメンバーやファンがどんな様子だったか?

当時をできる限り詳しく振り返りたいと思います。

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1997年9月22日 X-JAPAN 解散記者会見

hideの事を振り返るにあたって、
少しさかのぼってバンド解散時のhideの様子から見ていきたいと思います。

既にボーカルのToshiは洗脳状態にあり、
バンド解散のきっかけはToshiからの

「メンバーを脱退したい」

という告白からでした。

 

hideは、Toshiの脱退を聞いて

メンバー全員の人生をToshiはどう思っているのか?

1人だけの問題ではない!

と、怒りをあらわにしていたようです。

 

解散の原因を作ったToshiは記者会見には出席せず、

HEATH   HIDE   YOSHIKI  PATA

の4人だけで報道陣の前での発表となりました。

 

私もリアルタイムでテレビを見ていましたが、

hideがマイクに向かって心境を語った中で

「胸クソ悪りぃ…」

と言ったのを覚えています。

 

1997年12月31日 X-JAPAN 解散ラストライブ&紅白歌合戦

 

解散記者会見からおよそ3か月後に
東京ドームでラストライブが行われました。

およそ5万2000枚のチケットは発売開始から2分で完売という最速記録を打ち出しました。

 

「THE  LAST  LIVE~最後の夜~」では、

・Rusty  Nail
・WEEK  END
・Scars
・DAHLIA
・DRAIN
・CRUCIFY  MY  LOVE
・Longing~跡切れたmelody~
・紅
・オルガスム
・Forever  Love
・X
・Endless  Rain
・THE  LAST  SONG

が演奏されました。

 

ラストライブ終了には
「第48回NHK紅白歌合戦」に出演し、

・紅
・Forever Love

を披露し、これがhideのXメンバーと一緒に演奏した最後の曲となってしまいます。

 

1998年5月1日・hide死亡前日の夜

この日、hideは午後10時半まで
フジテレビの「ロケットパンチ!」という番組の収録をしていました。

死亡直前のインタビューでhideは、

「僕、基本XをやっていたのはYOSHIKIの魅力による所が大きい」

と、語っています。

収録後はスタッフやhide with Spread Beaverのメンバーと飲みに出かけ、

泥酔したhideは、
マネージャーである弟の松本裕士氏に東京・南麻布のマンションへ送ってもらったのが5月2日午前6時30分。

その1時間後にhideは命を失ってしまうのです。

 

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1998年5月2日 hideの突然すぎる死亡報道

 

5月2日午前7時30分頃、hideと同居していた女性が
寝室のドアノブにタオルをかけて首を吊った状態のhideを発見。

前日の収録番組でも
hideは付き合っている女性がいるとはっきり言っていましたが、

皮肉にも彼女が第一発見となってしまいます。

 

救急車が到着した時には意識不明の状態で、
その後病院へ搬送されましたが、

手当のかいなく午前8時52分に死亡が確認されました。

同日すぐにXメンバーにhideの訃報が知らされ、
私達にも突然のニュースとしてテレビで伝えられたのです。

死亡当日には親族の方と、

Xメンバー(Toshi、PATA、HEATH)が遺体との対面をしています。

ロサンゼルスにいたYOSHIKIだけはその場にいませんでした。

当時YOSHIKIは電話でhideが亡くなったと知らされましたが、

「嘘だと思いました 信じなかったです」

と後に語っています。

 

hideの死亡当日・訃報を聞いたファン達は…

 

hideの住んでいた東京・南麻布のマンションや、

横須賀にあるhideの実家、

原宿のhide経営のグッズショップなどに集合して
日本酒・バーボンウイスキー・花束を供えて手を合わせる光景が夜まで続きました。

ショックで身を寄せ合って
うなだれ泣くファンの様子がテレビに映し出されました。

 

hideのショッキングな死亡状況が、

後に「自殺か?事故か?」の論争を巻き起こします。

 

hideの死因は?

 

「自宅寝室のドアノブにタオルをかけて首を吊っていた」

これがhideの死亡に至った状況です。

この様子から多くの人が自殺だと想像し、「なぜ!?」と混乱しました。

しかし、自殺となる決め手は何もありません。

 

・遺書はなし

・自殺するような印象もなし

・死亡直前の様子も自殺の兆候なし

・数日前に都内のスタジオ建設予定地の仮契約をしていた

 

以上のことから、hideをよく知る人は事故死だと思っています。

 

しかし、X-JAPAN解散からたった4か月しか経っておらず、
hideはとても優しくナイーブな一面もあることから、

当時の(今でも)マスコミは
hideの楽曲や映像の一部を切り取って、

あたかも自殺したかのような報道を連日していました。

 

1998年5月3日 YOSHIKIロサンゼルスから緊急帰国

 

死亡翌日の5月3日、hideの遺体は東京・築地本願寺へ移されました。

この日YOSHIKIはロサンゼルスから緊急帰国。

帰りの飛行機の中で、hideのニュースが流れて号泣したそうです。

空港で待ち構えるマスコミに困惑しながら、そのまま
遺体が置かれている東京・築地本願寺(浄土真宗)へ。

「X-JAPANの中では自分が最初に死ぬと思っていた‥」

「とりあえず起こそうとした」

亡くなったhideに会ったYOSHIKIは目の前の現実を受け入れられませんでした。

 

1998年5月4日ファン達の後追い自殺が発覚

 

hideとの悲しい対面を果たした翌日の5月4日、

YOSHIKIの耳にさらなる辛い知らせが入ります。

それは、hideの死を受けて少女達が後追い自殺をしたという内容だったのです。

その時すでに
ファンの1人が死亡、1人が未遂に終わっており、

さらなる連鎖で人数が増えてゆく恐れがありました。

 

父親を自殺で亡くし、さらにhideを失ったばかりの
YOSHIKIにとっては、耐えられない状況だったと思います。

 

生きる希望を失ったファンが突発的に「死」を選ぶのを防ぐ為、

事態を重く見た関係者とメンバーは、沈静化を図るためメッセージを送る事にしました。

 

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YOSHIKIがファンに向けて異例の呼びかけ

 

後追い自殺の知らせをうけた5月4日の夜、

築地本願寺の門の前で、バンドを代表してYOSHIKIがファンへ緊急の呼びかけを行いました。

 


 

今回、突然彼の死を聞いてとてもショックです。

今もまだ信じられない気持ちです。

今とてもきれいな顔をして眠っています。

何度も起こそうとしましたが、彼は眠ったままです。

hideはX-JAPANの中でも一番冷静に物事を考える人でした。

リーダーでありながら短気で衝動的な僕に、いつも的確な助言をくれました。

もちろん、彼は彼自身を見失う事もありましたが

そんな時に必ず僕に電話をかけてきました。

バンドのこと、人生のこと、ファンのこと…

どんなことでも話し合いました。

時には兄のようでもあり、弟のようでもありました。

ファンの方々も、彼の友達もみんな混乱していると思います。

自分自身も、この悲しみをとても言葉などでは表現できませんが…

ただ、今こうなってしまった以上

僕らは 現実をしっかり受け止めなければならないと思います。

ご両親もはじめ、今みんな頑張っています。

X-JAPANのメンバーも頑張っています。

だから、ファンのみんなも 頑張ってください。

いつも僕らを励まし、支えてくれたhideを、

今は僕らやファンのみんなの力で、すてきに送ってあげましょう。

彼の永遠への眠りを温かく見守ってあげて下さい。

 

ーX-JAPANリーダーYOSHIKIー


 

折りたたんだ白い紙を開き、
ファンのみなさんは今は冷静になって欲しいと呼びかけました。

サングラスの下からはいくすじもの涙がこぼれ、言葉もつまり、憔悴していました。

 

hideの後追い自殺をしたファンの人数は?

 

後にhideの後追い自殺をしたファンの総数は、あくまでも噂の域ですが、

60人、数十人、にのぼったという衝撃的な数字でした。

芸能界の著名人が亡くなって、
ファンの後追い自殺人数が最も多かったという悲しい記録をつくってしまったほどです。

マスコミもこの件に関しては、最初に後追い自殺があって以降、人命に影響するので自粛するほどでした。

このような事情から、はっきりとした後追い自殺者の人数は未だにわかっていません。

 

 

1998年5月5日 hide・密葬

 

hideが亡くなってから3日後に近親者のみの密葬が執り行われました。

出席できたのは

・親族
・レコード会社
・所属事務所のスタッフ
・バンド仲間500人

でした。

それでも日本中から駆け付けたファンが築地本願寺を取り囲みます。

居ても立ってもいられず、とにかく少しでも長い時間hideのそばいにいたい…

そんな思いを持ったファンが、
徹夜組含めておよそ2千人集まりました。

お通夜と葬儀・告別式の日取りも発表され、同時に献花式の日時も発表されました。

当初の予定では、献花の受け取りは予定に無かったのですが、

何よりもファンとの心の交流を大切にしてきたhide。

故人の”意志”をくみとって、集まったファンの為に
6日(お通夜)・7日(葬儀・告別式)には「献花式」も行われることになりました。

 

1998年5月6日・通夜・Xメンバー会見

 

この日の献花式には、徹夜組500人を含め、のべ1万2千人のファンが訪れました。

しかし、hideの死を現実のものとして突き付けられたファンは、

遺影の前に立って花を捧げた瞬間に絶叫、
号泣する女性が続出しました。

集団心理ともいわれる連鎖に、興奮のあまり気を失った女性もいたほどです。

当時のニュースには、この光景を「異様だ」と表現したり、

「この若者達は、自分の親などが亡くなってもこのように泣くのか疑問に思う」

と言った記者のレポートがありました。

そして、

通夜の前には、残されたXメンバー全員が出席して会見が行われました。

以下、記者とメンバーのやり取りをご紹介します。

 

記者
hideさんはどうして自殺を選んだのだと思いますか?

 

YOSHIKI

僕は今回の事は事故だと信じています。
本当に彼は冷静ですべてを細かく緻密に考えていました。

 

記者
悩みは一切なかった?

 

YOSHIKI
僕らみんな人間なので、様々な状況で自分自身を見失ったり、悲しんだりすることは誰でもあると思います。
でも、いつも電話で話しても全然普通だったので…(涙)

 

記者
最後にその電話をしたのはいつでしたか?

 

YOSHIKI
1月の後半か2月の頭だったと思います。

 

記者
どんな話をしましたか?

 

YOSHIKI
Toshiがここにいるので失礼かもしれませんが、
実は去年、彼の脱退後に、残ったメンバーでXを続けようという結論になったんです。

ただ、バンドのボーカルが代わるということは、
ファンに対する責任があるし、自分たちの区切りをつける為にも今の時点では解散しよう。

ただ2000年までに、新たなメンバーを迎えてやっていこう。

そう誓っていたので、お互いに未來のことについて、第2のX-JAPANについて(hideと)話をしていました。

 

記者
ロスに行ったとき、hideさんがレコーディングが進まなくて怒ったと聞きましたが?

 

YOSHIKI
いいえ、hideを怒らすのは難しいと思います。
本当に心の温かい、寛容な優しい人だったので…。

 

記者
忙しすぎてのストレスは?

 

YOSHIKI
彼はとても上手に自分をコントロールできる人間で、
僕とはその面では正反対でした。

彼は自分でスタッフと相談してスケジュールをきっていました。

情熱的なタイプなので、
多少無理したことはあると思いますが、それが苦になるタイプではないと思います。

 

記者
お酒を飲んで悪ふざけしたのではという説もあるが?

 

YOSHIKI
”悪ふざけ”というとhideがかわいそうですが
そういうことは考えられます。

 

記者
メンバーの皆さんからも一言お願いします。

 

PATA

奴は辛気臭いのは嫌いな奴だったので、
みんなで気持ちよく、ってのは変だけど温かく送ってあげたいと思っています。

 

Toshi

……。なんか言葉にならないんですけど…
この思いを言葉とかそういうのを超えて、
この胸にあるこの思いを伝えたいというか…、そして(hideを)送りたいと思います。

 

HEATH

本当に、辛いことなんですが、
hideさんの性格上、明るく、僕たちで温かく送っていきたいと思います。

そして、このとてつもない悲しみをぬぐうのは辛いかもしれませんが、

ファンの人達も慎重に、冷静になって、僕たちと一緒にhideを送ってあげて下さい。

 

YOSHIKI
さっき、Toshiが何も言えなかったので
一言いいますけど、

東京ドームの時、ステージの上で抱き合ったように、その後僕らは

「バンドは解散しても親友でやっていこう」

と誓ったんです。
hideもそういう気持ちでいました。

僕とToshiの親友関係は、変わっていません。

 

記者
後追い自殺については?

 

YOSHIKI
絶対にそういうことはしないでください。
hideが一番悲しむと思います。

今こそファンと一体になってミュージシャンらしい最後を飾ってあげたいと思います。

(自殺などせずに)明日の葬儀に参加してほしい。

1人で煮詰まらずに、
最後のhideの旅立ちを送ってほしいと思います。

 

記者
「生きがいを失った」と叫んでいたファンの少女が外にいましたが。

 

YOSHIKI
自分が考えたのは、今、どういう行動をとったらhideが喜んでくれるだろう、

どういう行動をとったらhideが悲しむだろうという事です。

それはファンも同じことだと思います。

心の中にhideが生きているわけですし、
彼を傷つけるような事はやめてほしい。

生きがいがなくなったなんて…

気持ちはとても分かりますが、
悲しいのはみんな一緒なので、今こそ強くいて欲しいと思います。

本当に今まで僕らは何度も何度もファンの人達を混乱させてしまったと思います。

今までで一番辛い壁だと思いますが、
頑張ってそれを乗り越えて欲しいと思います。

僕らも一緒に応援します。

できることなら何でもします。

 

記者
hideさんは33歳の短い人生でした。
YOSHIKIさんはその3分の1をともにしてきたわけですが、どのような男性、ミュージシャンでしたか?

 

YOSHIKI
一言で言い表せない。
最初に会った時から、素晴らしい才能、それでいて素晴らしい人柄。

僕自身が歯止めがきかなくなってしまうことがあっても、いつも冷静に受け止めてくれて、迎えてくれました。

必ず、最後に決断を僕に任せてくれて、「YOSHIKIに任せる」「YOSHIKIを信じている」と言ってくれていた。

今回はその決断を僕に任せてくれなかったのはつらいですけどね…。

友達としてもミュージシャンとしても立派だった。

これだけのファンに見守られて幸せだったのではないかと思います。

 

記者
Toshiさんはどんな思い出がありますか、よく話したことは?

 

Toshi
そうですね…。

僕がバンドを脱退してからも電話をかけてきてくれて、

いろいろと言葉は交わさないんだけれど、
さりげなく肩をたたいてくれるような、そんな話をよくしてくれました。

 

記者
どんな存在でしたか?

 

Toshi
やっぱり、長い間、
色んな事を一緒に経験してきた仲ですから…

ちょっと言葉にするのは難しいです…。

(YOSHIKIがToshiの背中をたたいて励ます)

 

以上がおおよその内容です。
残されたメンバーの悲しみと辛さが伝わってくる会見でした。

通夜はこの後、5月6日午後6時より執り行われました。

 

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1998年5月7日 hide葬儀・告別式

 

葬儀は午後1時から始まり、

献花に訪れたファンは築地本願寺周辺を取り囲み、

故・美空ひばりの葬儀を上回る著名人史上最高の5万人が集まりました。

この日はとても暑く、気温は27.6度まで上昇し、197人が倒れ、56人が救急車で運ばれる事態となりました。

 

祭壇にはhideが愛用していたカラフルなギターが22本並べられ、

棺の中にはジャケットやカウボーイハットなどが入れられたそうです。

hideは迷彩服を着て、ピンクの長い髪も綺麗にセットされていました。

hideの死に化粧を施したのは、
生前からメイク・衣装のデザインを担当していた高橋恵美さんというスタイリストさんで、

スタッフとしての仕事を最後まで全うされました。

 

弔辞・YOSHIKI

 

hide、今でも覚えているかな。

最初に出会った日のこと。

お互い自己紹介もせず、前からの知り合いのように自然に話し始めたね。

「俺、hide。サーベルタイガーやってるんだ」

「俺はYOSHIKI。Xってバンドやってるんだ」

いつか親友という言葉がふさわしい仲になっていた。

いつか一緒にバンドを組むことになるだろう、そんな予感がしていた。

PATAとTAIJIに加え、同級生のToshiがそろって、後はhideの加入を待つだけだった。

そんな時hideが言った、

「YOSHIKI、俺 音楽辞める‥」

「ね、俺と組もうよ、」

と誘うと、いくつものバンドからの誘いを断っていたhideが素直に

「俺、やるよ 今日から俺もXだ。」

そんな言葉にひとつだけ約束した。

「どんな事があってもその決断を後悔させない」と…。

その後は命がけだった、

楽な道ではなかった。世間にはこんな髪も染めた派手な格好のバンドはまだいなかった。

どんな所へ行っても、ただの奇抜なバンドに見られた。

お金もなく、公園に泊まったりエンジンの止まった車を押し続けた夜…

でも楽しかった。

それから5年、俺たちは夢を達成した。

嵐のような日々だった、自分を見失ってもhideが支えてくれ言ってくれた、

「YOSHIKIがいなかったら今の俺はない」って…

今、この言葉を何倍にもして返してあげる。

「あの時出会っていなければ、今の俺はありえない」

Xではあまりに多くのドラマがあった。

あれは決して解散なんかじゃなかった。

ボーカルが辞めて、一時解散とファンに対して責任をとり、

2000年までに復活しようと約束した。

hideは誇らしげに言った、

「俺は今もX-JAPANのhide」って

だったらどうして俺たちを残して逝ってしまったんだ…。

今とてもつらいけど、悲しいけど、最後の言葉を終えなければ…

今まで本当にありがとう。

今までもそしてこれからも、俺が、俺たちが、

hideを愛する気持ちは変わらない。

メンバーは一生、何があってもX-JAPANに変わりない。

ここに誓う。

だからいつまでも見守っていて下さい。

 

告別式・hideに贈った「Foever  Love」

 

葬儀を無事に終えて告別式に映ると、

本堂にYOSHIKIのピアノが響きわたり、
Toshiが左手に念珠を握りしめたまま右手にマイクを持って

「Forever Love」

が演奏され、

PATAとHEATHは演奏は無かったものの、
ギターとベースを持ってhideを送るステージに参加しました。

こんな悲しいステージなのに、
そのメロディーはとても美しく、強烈に私達の記憶に残っています。

 

hideの出棺にファンが悲鳴

築地本願寺でhideの葬儀・告別式が執り行われていたその頃、

献花に訪れていたファンの列は、
築地本願寺から2キロの長さに達し、隅田川に沿って行列が続いていました。

午後3時40分 hideを乗せた霊柩車が出棺。

築地本願寺の正門を出ると

悲鳴と共にファンが押し寄せ、将棋倒しになる場面も…

 

hideを乗せた霊柩車を数人のファンが追いかけて取り押さえられるシーンもありましたが、

多くのファンはきちんと列を守り、
自主的に道のゴミを拾い集めて、後片付けをする姿も見られました。

 

朝日新聞の朝刊に連載されるコラム「天声人語」では、

毎回様々な時事ネタについて辛口な評論が多い中、

hideの葬儀について「よい葬儀だった」と締めくくられています。

 

本名・松本秀人(まつもとひでと)

法名・秀徳院釈慈音
  
(しゅうとくいんしゃくじおん)

 

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1998年5月8日・火葬を終えて実家の横須賀へ

午後4時10分、報道陣やファンが待ちかまえる横須賀の実家に

小さな骨壺に収まったhideの遺骨が帰りました。

 

hideの遺骨は、デビューしてから日本よりもロサンゼルスにいる方が多く、

その海が好きだったけど、忙しくてなかなか行けなかったことからロサンゼルスの海に散骨されました。

 

お墓は地元横須賀のすぐ南に隣接する

神奈川県・三浦市の「三浦霊園」に建てられており、

hideを愛する昔からのファン、hideの死後にファンになった人、海外のhideファンが今もなお訪れています。

(三浦霊園・hideのお墓の行き方)
       ⇩
hideのお墓の場所!三浦霊園の行き方と人気のお供え物や注意点!

 

まとめ

 

可能な限り当時の雑誌や記録を時系列で書きましたが、

私自身、記憶が薄れていた部分も多く、20年という月日を実感せざる負えませんでした。

当時の麻布署の発表によると、事件性がないことからhideの死は「自殺」と判断されてしまいます。

しかし、hideの死から半年後、
マネージャーであり、実の弟の松本裕士さんはこのように語っています。


 

「hideはひどい肩こりと、偏頭痛になやまされており、

どこで知識を得たのか定かではありませんが、

一部のミュージシャンやスポーツ選手、むち打ち症の治療で整骨院等が行う

首の牽引によって、ストレッチを行っていました。

それがロサンゼルスから日本へ帰国した時、時差ボケとお酒を飲んだ後の為、

ふとしたはずみで首がしまってしまったと思っております。

hideは自らの意志で命を絶ったのではないと今でも思っております。」


本当に残念な人物を早くに亡くしてしまいましたが、
遺してくれた彼の作品は、これからもたくさんの人を救ってくれるに違いありません。

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