初盆(新盆)ってよく耳にするけど、何のためにするものなの?
初歩的なことですが、これはとても大切な疑問です。
にもかかわらず、誰に聞いても明確な答えは帰ってこない、ネットで検索しても出てこなくてあきらめた‥。
そんな方もいらっしゃるかもしれません。
そんな「初盆法要の意味」に疑問を感じている方の為に、
どうして初盆を行うのか?そもそも初盆はする必要があるのか?
を解説します。
初盆についての知識として知りたい方はもちろんですが、
- 初盆(新盆)をするかどうか迷っている
- 初盆(新盆)をやる必要があるのかよく分からない
- 初盆(新盆)は身内だけですませようかと思っている
そういった方にも有効な判断材料になる内容になっていますので是非どうぞ。
(※この記事は浄土真宗の方に向けての内容となっています。)
初盆・新盆とは?
まず、初盆・新盆の読み方としては
初盆=(はつぼん)
新盆=(にいぼん・あらぼん・しんぼん)
と読みます。
主に地域によって呼び方が分かれるのですが、意味としてはどちらも
初盆・新盆=お亡くなりになって初めて迎えるお盆
という意味です。
昔から日本人は夏のお盆になると、もはや「伝統行事」として当たり前のようにお仏壇を飾り、お墓参りをしますよね?
しかし、初めて葬儀をされたご家庭では、世間一般では当たり前のように行われる「初盆」を何をどうしていいのか分からないのも無理はないと思います。
そもそも「どうしてお盆が大切なのか?」そんな疑問すら持たずにお参りしている人も少なくない中で、
ご家族を亡くされて改めて「お盆が来る」といった状況の中、きちんとお盆について知りたいと思うのは自分の為・故人の為にとても良い事だと思います。
では、なぜお盆をするのでしょう??
初盆(新盆)をする意味は?浄土真宗の場合
葬儀や49日法要などと同じ大きな節目の法要として「初盆」も重要とされていますが、
浄土真宗では、初盆(新盆)は以下のように定義されています。
浄土真宗のお盆の意味
・お盆は亡き故人やご先祖が帰ってくる日ではない。
・生きている私達が亡き人のご縁によって仏の教えを聞かせていただく日
簡単に言うと「お盆の法要は死者のためではなく、自分のため」という意味ですね。
浄土真宗という宗派は、葬儀も法事も死者のためではなく、すべて生きている人間のためにあるとされます。
え?どういうこと?とモヤっとしますよね?今まで死んだ人の為に手を合わせてきたのは何だったのか…
余計に混乱しそうです。
でも、「葬儀や法事(初盆を含む)は生きている私達のため」という部分を押さえれば浄土真宗を大まかに理解できるレベルになれると思います。
初盆(新盆)は何のため?をもっと分かりやすく解説
「いつかみんな死ぬ」これは誰もが知っているまぎれもない事実です。
しかし、そんなことを忘れきって「生きていることが当たり前」として毎日を過ごす人が圧倒的に多いですよね?
私(当サイト管理人)もその中の1人ですが、健康でも病気でも、若くても年をとっていても「みんないつ死ぬか分からない」という人生を送っています。
亡くなった家族の姿は「確実にやって来る未来の自分の姿」です。
いつまでも続くものなんてどこにも無いという真実
そういったことから、浄土真宗では初盆(新盆)が一体何のためにあるのかというと、
いつまでも続くものは一切ないという「諸行無常」に気づくため
と考えてもらえればいいと思います。
???難しい…と思ったかもしれませんが、
亡くなった人を通して自分自身が仏教に触れさせてもらい、人生のはかなさと、煩悩(欲)にとらわえて悲しんだり苦しむ自分を救ってもらう
という意味があり、浄土真宗では初盆を含む仏事は「自分が救われるため」にあるとされます。
故人の供養のためでは無いということですね。
初盆(新盆)は絶対しないとダメ?
絶対ではありません。(←私の個人的な意見)
各家庭の事情で無理という場合もあるでしょう。
お盆の時期はお寺も忙しく、地域によってはお寺さんが各家庭を数日かけてお参りして回るといったところもあります。
みんなの日程をうまく合わせるのも難しいかもしれません。
各家庭の事情は色々あると思いますが、
- まだお仏壇がない
- お寺さんや親族との予定があわない
- 家が狭くて人が集まるスペースが無い
- 介護が必要な家族がいるので手が回らない
- 親戚がみんな遠方だから難しい
- 仕事が忙しくて準備ができない
などなど、実際にはすべての人がスムーズに初盆を行えるわけではありませんよね。
初盆をしないと死者が悲しんだり怒ったりする?
死者が生前のように感情を持っていて、悲しんだり困ったり怒ったりするということはありません。
浄土真宗では「霊」や「魂」は無いとする宗派なので、お盆にご先祖様や故人が家に帰って来るといった教えもありません。
あくまでも「生きている人が仏縁にあうため」の初盆法要なので、亡くなった人の心配は一切無用です。
浄土真宗では、亡くなった方は死と同時に阿弥陀如来のお働きによって極楽浄土へ生まれ還るとされますので、
もうすでに悟りの世界に救われている故人の事を、あれこれ心配する必要は無いというわけなのです。
なので「たたり」とか「化けて出る」といった考えをしがちですが、浄土真宗ではこういった発想もあてはまりません。
初盆(新盆)をしないと親戚から何か言われそう
家族間で「初盆はしない・集まることもしない」と決まったものの、それを親戚にはどうやって伝えたらいいものか‥
「周囲にどう思われるか」はいつも悩みのたねですよね。
そんな時には
- 初盆が無理な理由をきちんと説明する
- 相手の意見にも耳を傾ける(一方的にこちらだけ意見しない)
- 初盆法要はしないができる事はする(お仏壇やお墓に参る)と伝える
- 反論されたり、納得してくれなくてもケンカをしない
こちらの提案をすんなり受け入れてもらえるといいですが、そうではない場合もあります。
角が立たないようにしたいところですが「初盆をしないなんて!」と批判されても「本当におっしゃる通りですが…」と相手を刺激しないようにしつつ、
「初盆をしない」という連絡だけは確実に相手に伝えておきましょう。
人によって宗教観や故人への想いは違って当然で、揉めない方が難しい問題かもしれませんね。
超少子高齢化でこれからますます葬儀だらけになると、1つ1つの各法要を丁寧に行う人は少なくなってしまうのではないでしょうか?どうなるんでしょうね‥
まとめ
・初盆、新盆は故人が亡くなって初めて迎えるお盆のこと
・初盆法要は故人の供養のためではなく、生きている人が仏教にあうため
・初盆(新盆)は必ずしなくてはいけないものではない
・初盆ができなくても死んだ人からたたりやバチは無い
・親戚や周囲の人に初盆ができない事をきちんと連絡する
初盆法要ができない方も、法要という形がとれないだけであって、故人のことを大切にしてないわけではないと思います。
お仏壇を綺麗に飾ったり、お墓参りをしたり、自分でできる範囲でお盆をされるのもいいですね。
正解の無い話なので最後は自分で判断するようなりますが、よい初盆になりますよう お役に立てれば幸いです。