一般的に、身内の葬儀のあった年には、
翌年の年賀状は出さずに
喪中ハガキ
を出す方が多いと思います。
きちんとしているつもりでも、
実は間違いだらけの
忌中や喪中のお話しをしたいと
思います。
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そもそも喪中や忌中って何?
それぞれを簡単に説明しますと、
■忌中(きちゅう)
・家族に死者があって、忌に服している
期間。特に、死後49日間を言います。
神事や結婚式、
派手な行いは避けるべきだといわれます。
■喪中(もちゅう)
・忌中に比べて期間は長く、1年とも
いわれます。故人を偲んで、喪に付す期間を言い、
人によって長短の差があります。
忌明け後の悲しみを乗り越えて
平常の生活に立ち直っていく期間とも言われます。
仏教では「死=けがれ」ではありません
この忌中や喪中の概念としては、
元々の出どころが神道であり、
神道でいえば、
死は最大のけがれです。
「死」という
どうすることも出来ない事に対して
人は、何か特別な事をして、自分自身の不安や
恐れを紛らわそうとします。
本来の仏教の教えに逆行するような
迷信も、人は迷いのせいでいとも簡単に
信じてしまうのです。
ですが、仏教の教えでは、
死=けがれではありません。
仏教とは、仏陀(お釈迦さま)の説かれた教えで、
今、生きている全ての人々の為に
教えが説かれています。
この「忌中」や「喪中」は、
親族を亡くした悲しみを癒し、
日常生活に復帰するための
「精神的な準備期間」です。
しかし、この「精神的な準備期間」とする反面、
日本の古い迷信や、
「けがれ」の概念からくる宗教観によって、
「親族の死によって、
不幸や悲しみの目に合ったので、
他人へ何らかの影響を与えない様に
(不幸や悲しみが移らない様に)身を慎む」
という非仏教的な「けがれ概念」が
忌中や喪中として根深く浸透してしまっている為に
喪中ハガキも同様に浸透しているのです。
何度も言いますが、
仏教には忌中も喪中もありません。
だけど、やっぱり喪中葉書は出したい!?
仏教には忌中や喪中が無いと言いましたが、
特にそのことを1番はっきり
言っているのが浄土真宗です。
死は「けがれ」では無いという教えから、
習俗である、※「清め塩」や、※「忌中札」
は絶対に認めないという僧侶の方が大半です。
※清め塩 「死」という不幸がついてこない様に 死者の霊や、何か悪いものを 通夜・葬儀の後に |
※忌中札 人が亡くなると、 通夜や葬儀の日時などが 葬儀社の方から葬儀が終われば 亡くなった人の続柄によって、 しばらく張り続ける家もあるが、 ※仏教徒には不要です。 |
すっかり定着してしまった喪中葉書は、
世間一般に広く流通していて、
お店でも売ってあるし、
家族が亡くなった事を知らせる意味合いも
あるので出したいという方も多いと思います。
しかし、より熱心な
浄土真宗の門徒(浄土真宗を信仰する人)
の方だったら、
「死はけがれではないから、全く気にせず
年賀状を出す!」
という方もいらっしゃるかもしれません。
ですが、
年賀状をもらった相手が同じ門徒さん
ならいいのですが、そうでない場合、
世間との摩擦が生じかねません(汗)
悩ましいですね~!(-_-)
そこで、苦肉の策として、年賀欠礼ハガキ
にして、「喪中」という言葉を使わず
ハガキを出すという手があります!
「喪中」を使わない年賀欠礼ハガキの文例
12月上旬あたりには届く様にするといいでしょう。
喪中を使わない目的で、年賀欠礼ハガキを出すので、
文章中にも、もちろん「喪中」とは書きません。
※文例中では亡くなった対象人物を
「父」として例にあげています。
年賀欠礼の文例・1
この夏、父が浄土往生の素懐を遂げました。
つきましては年末年始の
ご挨拶を失礼させていただきます。
本年はひとかたならぬ
ご厚情に預かり厚くお礼申し上げます
明年も変わらぬご交誼の程お願い申し上げます
合掌
平成○年十二月
年賀欠礼の文例・2
父が浄土往生の素懐を遂げ
初めて迎える正月は、父を偲び
家族で静かに迎えたいと思いますので
新年のご挨拶を失礼させていただきます。
尚、生前中にひとかたならぬご厚情を
いただきましたことを、厚く御礼申し上げます
時節柄、一層の御自愛の程、お念じ申し上げます
合掌
平成○年十二月
年賀欠礼の文例・3
本年○月 長らく患っておりました
父が浄土往生の素懐を遂げました
つきましては年頭のご挨拶を失礼させて
いただきますので、何卒ご了承下さいませ
ご家族様におかれましては幸い多き新年を
お迎えになりますよう心より念じあげます
合掌
平成○年十二月
年賀欠礼の文例・4
父が去る○月に死去いたしました
つきましては誠に勝手ながら
新年のご挨拶を失礼させていただきます。
茲に本年のご芳情を厚く御礼申し上げ
明年も変わらぬ交誼の程お願い申し上げます
寒気厳しきおり、日々お大切に
お過ごしくださいますよう念じ申し上げます
合掌
平成○年十二月
年賀欠礼の文例・5
新年のご挨拶を失礼させていただきます
○月に父が死去し、初めて迎える正月は
父を偲びつつ静かに迎えたいと思いますので
新年のご挨拶は失礼させていただきます
尚、本年中賜りましたご厚情を深謝申し上げ
明年も変わらぬご交誼の程お願い申し上げます
合掌
平成○年十二月
年賀欠礼の文例・6
新年のご挨拶を失礼させていただきます
本年○月 父・○○が往生の素懐を遂げました
に本年のご厚情を深謝いたしますとともに
明年も変わらぬご交誼の程お願い申しあげます
尚、時節柄くれぐれも
ご自愛くださいますようお念じもうしあげます
合掌
平成○年十二月
年賀欠礼の文例・7
謹啓 師走に入り、
何かとお忙しいことと存じます
さて、今年○月○日、父・○○が
お浄土へ往生いたしました
何気なく共に生活していた日々が
二度と帰ってこない
貴重な時間であったことは
まさに人生は一期一会であることを
深く知らされました
残された私をはじめ遺族のものは
決意を新たに一層の聞法と仏恩報謝に
尽くしたいと存じます
父への哀悼の意を表し
静かな年末年始を迎えたいと
思っておりますので
年賀のご挨拶などは失礼させていただきます
合掌
平成○年十二月
文中に使わないNGワード
■逝去(せいきょ)
これは他人の「死」に対する尊敬語です。
■天寿・天命
(天から授けられた寿命という意味)
・寿命は天から与えられるものでも、
天が決めるものでもありません。
死の縁は無量です。
いつどこでどんな死に方をするかは
わかりません、
賜った命を精一杯生きるのが私たちの努めです。
その他
■喪中・他界・永眠があります。
まとめ
近親者との別れは、どの方も宗教問わず、
平等に辛く、悲しいものです。
実は私自身、
こういった記事をかいているものの、
家族との別れの悲しみは、
辛く深いものであり、
すぐには受け入れられないと思います。
しかし、その悲しみをしっかりと踏まえた上で、
本来の仏教徒としての概念を見直す機会として、
故人の遺徳が偲ばれる年末に、
由緒を大切にされる表記を使用されることを
お勧めします。
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