夏目漱石の命日・死因・宗派は?「こころ」の舞台にお墓の場所ある?

夏目漱石の命日・死因・宗派は?「こころ」の舞台にお墓の場所ある?

夏目漱石の没後100年を迎える2016年は、
改めてその功績に注目が集まり、
盛り上がりをみせています。

そんな漱石の命日と死因は何だったのか?

宗派とお墓の場所や、実は解剖されていた!?
といったお話をしていきたいと思います。

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夏目漱石の命日と死因は?

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出典:4.bp.blogspot.com

漱石が亡くなったのは
大正5年(1916)12月9日です。

満49歳という若さでした。

漱石の命日という事で、この日の事を
「漱石忌」とも言います。

死因は胃潰瘍(いかいよう)の為と言われていますが
実は糖尿病も患っていたようです。

写真で見るばかりでは
落ち着いた物静かな印象ですが、
生きる事への執念や、
死を受け入れる事を拒否するまでの
創作意欲は、

最期の言葉からひしひしと伝わってきます。

危篤の際に看護師さんへ

「胸に水をかけてくれ」

と衣服をはだけさせて頼み、
看護師がその通りにしてあげると漱石は、

「死ぬとこまるから」

と言って、意識が戻らなかったそうです。

亡くなった当時は「明暗」の執筆中でした。

 

以前から持病の胃潰瘍と戦っていた
漱石ですが、
1910年に(亡くなる6年前)
伊豆の修善寺の菊屋旅館に

主治医同行で療養していた際、
大量吐血で一度死にかけています。

職業作家としての漱石が、
活動期間10年という
短い間しか生きれなかったのは、
本人にとっても不本意でしょうし、

余命を感じながら、自分の命を削って世に
作品を生み出す意欲は、死の間際まで
衰えなかったことが最期の様子から
よくわかりますね?

12月12日には青山斎場で葬儀が行われ、
受付には芥川龍之介、弔問には森鴎外という
文豪の葬儀ならではの顔ぶれだったそうです。

落合火葬場にて荼毘に付され、
12月13日に収骨。

12月28日に埋骨式でした。

 

 

夏目漱石の宗派は何?戒名は?

 

夏目漱石のお墓には
漱石の戒名と、
奥さんの境子さんの戒名が
墓石に2つ刻まれています。

夏目漱石の戒名はというと、

「文献院 古道 漱石 居士」
(ぶんけんいん こどう そうせき こじ)
「古き正しい道をたずねる漱石は文に献げる」

 

この戒名の意味としては、

文献院「献」の字は「賢」の意味である
と言われ、

文献とは、賢者が記憶しているもの、
賢者によって書きとられたものという意味です。
国民的文学者にふさわしい院号ですね?

道号にあたる「古道」も文字通り雄勁・優雅な
言葉です。

「漱石」の部分は、本名ではなく、筆名を
そのまま戒名にしています。
本名は金之助(きんのすけ)といいます。

そして、

漱石の宗派は臨済宗・円覚寺派です。

これについては、夏目漱石の「門」の中で
宗助が鎌倉に参禅する場面がありますが、

この時のお寺が円覚寺をモデルとしています。
臨済宗・円覚寺派の大本山のお寺です。
(正式にはえんくじ)と読みます。

 

漱石のお墓はどこにある??

 

夏目漱石のお墓は

東京都立・雑司ヶ谷霊園(ぞうしがやれいえん)
開設は明治7年です。

場所:東京都豊島区南池袋4-25-1

ここには漱石の他にも数々の
有名人のお墓があります。

小泉八雲・竹久夢二・ジョン万次郎・東条英機
金田一京助など‥

「有名人のお墓マップ」も作られるほど、
たくさんの方がお墓巡りにやってくる場所です。

みなさん夏目漱石のお墓をメインの目的として
訪れるのですが、墓地の広さも手伝って
迷うこともあるそうですよ?

漱石の弟子である芥川龍之介も迷って自力で
たどり着けなかったという話を
「年末の一日」という随筆に書いているほどです。

この雑司ヶ谷霊園と言う場所は、漱石の
「こころ」という有名な小説の舞台です。

小説では、主人公が親しくなった
「先生」という人物が、
友人の墓参りのため
雑司ヶ谷霊園へ行くという場面があります。

複雑に揺れ動く「こころ」が
よく表現されている作品です。
まだの方は、一度読まれてみて下さい。
おすすめです!

 

実は体の一部が未だ保管されている?

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出典:2.bp.blogspot.com

 

夏目漱石の死後、遺体は東大医学部の
解剖室で解剖が行われました。

その時取り出された脳と胃は
現在でも当該医学部に
保存されているということです。

脳の重さは1,425g

平均よりやや重く、前頭葉が発達していた
とも言われます。

解剖にいたる経緯については諸説あるのですが
漱石の遺体を解剖した執刀医は、
松山中学時代の教え子である
真鍋東大医学部教授が行いました。

優れた頭脳に対する敬意として、研究対象
として脳を保存される前例は
アインシュタインにもありました。

そうした背景もあり、教授の保存したい
意向と、奥さんの希望もあってなされたという説があります。

奥さんとしては漱石には生前
苦労させられ、
ノイローゼ(幻聴・幻覚)さえあったとされる
不安定な一面があったようです。
その為、奥さんとしては夫は頭が
おかしかったに違いないと、解剖を希望した
説もあります。

現在も東大医学部標本室に保管されていますが、
許可を得た医療関係者を除き、一般の人の
出入りは禁止されているそうです‥。

 

まとめ

 

文豪の中でも最も有名な夏目漱石は
死後100年経っても、その作品がますます
注目されるといった人気です。

明治という時代に生きた漱石以外の
文豪たちも、
それぞれ病や精神的不安定といった
どこか刹那的なものを抱えて執筆していた
のが伺えます。

誰もかれも短命な中、命を削って書いた
作品に今年はさらに注目が集まりそうです!

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