家族が亡くなったら、遺体を自宅に
寝かせて、お通夜や葬儀をする
ご家庭があると思います。
そんな中で、しばしばお仏壇の扉を
閉めているご家庭に遭遇するという
ご住職のお話しがありました。
以下、ご住職の体験談をお話しを
ご紹介します。
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死亡の知らせを受け、臨終勤行(枕経)に
お参りしますと、
お仏壇のある部屋に安置されているにも
関わらず、そのお仏壇の扉が
閉められていることがしばしば見受けられます。
その反面、遺体の前には葬儀社が用意した
白木の机にローソク立てなど、
三具足や、おリン、ご飯を山盛りにした
故人の茶碗がきちんと並べられたりしています。
しかしながら、私たちがお勤めするのは
遺体に対してではなく、
お仏壇の如来様に対してなのです。
如来様は、真実のお浄土をこしらえ、
「必ず救いとる」
と誓われ、故人との別れに嘆き悲しむ
私たちに
「しっかりしなさい、私が付いているから‥」
と、励まして下さる如来様の
お心をいただくのです。
お仏壇を閉めてしまったのでは、
何にもなりません
遺族の心の拠り所はお仏壇
確かに、故人への未練は絶ちがたく、
どうしても遺体の方へ目が向きがちに
なります。
しかし、いくら心を込めて
「成仏してほしい」
と願ったところで、私達凡夫(ぼんぶ)に
故人をお浄土へ往(ゆ)かせてあげる
能力は残念ながらありません。
お浄土へ生まれさせ、成仏させることが
できるのは、
阿弥陀さまをおいてほかにはないのです。
故人も、そして悲しみにくれるこの私も
阿弥陀如来のおはたらきによって救われ、
また、心底からの安らぎを与えられることを
味わわなければなりません。
如来さまと一緒に‥
私たちはこうした悲しみを縁として人生の
理(ことわり・当然の道理)をかみしめ、
生死を超えて変わることの無い
如来様の真実のお心を拠り所に
生き抜く事こそ大切であるといえましょう。
故人もきっとそんな生き方を願われています。
ですから、普段の日常はもちろん、
臨終から一連の葬儀についても、
いつも如来さまに対して勤行や合掌が
行われるのであり、遺体や遺影に対してではありません。
もし、お仏壇がなければ、お名号などの
ご本尊を奉懸(ほうけん)し、
その側に遺体を安置します。
なお、遺体は釈迦入仏時にならって
北枕にしますが、
特にはこだわる必要はありません。
まとめ
■臨終の時にお仏壇を閉めるのは
間違い
■遺体ではなく、如来様に合掌
■北枕にこだわる必要はない
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