今回は少し重い話をとりあげたいと
思います。
「臨終」です。
でも、この話は誰にでも起こりうる事です。
もし、あなたがご家族の臨終に
立ち会えなかった経験をお持ちで、
今でも心のどこかで後悔されているなら
是非読んでいただきたいです。
そして、まだそんな経験が無い方も、
心の準備があれば、必要以上に思い悩む
ことはないでしょうね?
(合わせて読みたい記事)
⇩
浄土真宗の初盆のお布施の金額・相場はいくら?お車代は?
ご家族が息を引き取る瞬間
ご家族が息を引き取る瞬間は、
他の事には一切気を遣わず、
看取りに集中してください。
故人を囲んで静かに時間を共有できる場は、
ほんのわずかしかありません。
貴重な時間を無駄にしないようにしましょう。
看取りと言っても、取り立て何かをしなくてはいけない
と言うわけではなく、ただ、故人に寄り添っている
だけで十分です。
故人の体がまだ暖かいうちに手を握り、
最後の温もりを感じて下さい。
臨終を迎えた人の体温は、1時間でおよそ1度ずつ
下がっていきますので、
自宅や安置施設へ運ばれた後には
少し冷たさを感じるようになり、
生きていた頃のぬくもりは、すっかり失われます。
可能なかぎり故人の最期に立ち会いましょう
臨終の場には、可能な限りご家族全員を
立ち会わせましょう。
年端(としは)もいかないお子さんがいても、
「まだ子供だから」
と、病室の外に出さないようにしてください。
確かに、お子さんにとって、「死」がどんなもの
なのか、看取りにどんな意味があるのか?
あまり理解できないでしょう。
それでも、身内の死を前にしてご家族が
悲しむ場に立ち会い、肌で感じる事で
命の尊さを学ぶはずです。
こうして「命のバトン」を繋ぐ行為は
故人が次の世代に残していく最大の財産となるのです。
私たちに、故人が自身の死をもって、
たくさんの事を感じさせ、思わせ、
考えさせてくれる、
最期の大きな
人生の教えの場となるのです。
間に合わなかった!と後悔しないで
一方、病院から遠く離れた場所に住んでいたり、
危篤の知らせを受けても
すぐに駆け付けれなかったりして、
臨終の瞬間に間に合わない事も十分に起こりえます。
もし、そうなったとしても、
決して自分を責めたり、
後悔したりしないでください。
また、ご家族の誰かが遅れた場合も、
「なぜ間に合わなかったんだ!」
と、責めてはいけません。
看取りとは、
「臨終を迎えた瞬間、その場に居合わせる事」
に限った事ではありません。
長い目で見れば、闘病生活に入った段階で、
すでに臨終への助走は始まっているのです。
だとしたら、「その瞬間」が訪れるまで、
故人とともに過ごしたすべての時間が看取りと言える
のではないでしょうか?
また、息を引き取った後でさえ、ご遺体と
対面して静かに時間を過ごすことが
できれば、それも看取りに参加していると考えられます。
もちろん、臨終の瞬間に居合わせることが
できれば故人もご家族も幸せかもしれませんが、
それでも、誤解を恐れずに言えば、
故人と過ごしたかけがえのない時間に比べれば、
臨終の瞬間は1つの「点」に過ぎないのです。
責めたり後悔しても、故人は喜ばない
どうして「責めるな、後悔するな」という
話をするのかと言えば、
「臨終に立ち会えなかった」
という後悔の念にさいなまれて身や心を持ち崩していく人や、
ご家族同士でいつまでも
いがみ合ったりする人が本当にたくさんいらっしゃるからです。
だからこそ、本サイトを見て下さっている
皆さんには、絶対にこのようになって欲しく無いと、心から思います。
ご自身の体や健康を第一に考えて!
ご家族の中には、危篤の知らせを受けて
気が動転し、病院へ向かう途中に事故を
起こしたり、
脳卒中で倒れたり、ストレスによる過労で
倒れてしまったりする人もたくさんいます。
ご家族には、このあとにお葬式という
大切な仕事が待っています。
全員がそろってお葬式に臨むためには、
1人ひとりがご自身の体や健康を
第一に考えて行動しなければいけません。
ご家族全員が健康でいること、幸せでいる事は
故人の一番の願いであることを、どうか忘れないでください。
まとめ
もし、ご両親や祖父母が闘病生活に
入られたら、あなた自身が後悔しないためにも、
時間の許す限りお見舞いや、看病に訪れたり、
それも無理ならせめて手紙やメールを送るなど、
ご存命のうちに少しでも寄り添うように心がけてみる
というのはいかがでしょうか?
最期にもう一度いいますが、
たとえ、臨終に間に合わなくても、
決して、自分や他人を責めないようにしましょうね?
(合わせて読みたい記事)
⇩
法事のお仏壇にお供えするお菓子や果物は何がいい?お飾りの手順と方法は?