聖☆おにいさん(セイントおにいさん)
のマンガに出てくるブッダやイエスの
宗教ギャグの元ネタを解説します!
まだ知らない方が読まれた場合、
ネタバレになってしまうので、
10巻の内容をまだ知らない方は
ご注意下さい。
※過去記事で解説した用語は省略させて
いただくことがありますのでご了承ください。
なお、この記事は非公式です。
この記事の1つ前の元ネタはこちら(9巻後編)
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聖☆おにいさん9巻の宗教用語・元ネタ解説!後編その63~番外篇
10巻その65☆LIGHT OUR FIRE!!
バーベキュー中に、
父(神)の偏食によって引き起った事件を話すイエス‥
何度も出てきたネタですが、
アダムとエバの長男と次男による殺人の話です。
アカデミア美術館にはその瞬間を描いた絵画が
飾られています。
「カインによるアベルの殺害」ティントレット 作
楽園を追放されたアダムとエバが2人の男子を
生みます。
兄カインは農夫、弟アベルは羊飼いとなって
それぞれの収穫を神に捧げることにしたのですが、
兄は地の産物、
弟は肥えた羊の初子(ういご)
を捧げたところ、神は兄の供物には目もくれず、
弟・アベルの供物だけを喜んだそうです。
この出来事で、弟だけが神に愛されていると
激しい嫉妬と憎しみをもった兄・カインは
ついに弟を殺してしまいます。
この出来事が、人類が犯した最初の
殺人事件の瞬間とされています。
ビールを飲んだ鳩(神)が一言‥
「人間を作った」という言葉は
神によって世界と人類が生まれた事を表しています。
旧約聖書は神による世界の創造によって
はじまりますが、
神は7日間で世界を創造したと言われますが、
世界を創ったのは実質6日間で、
7日目に休まれたそうです。
「楽園のアダムとイブ」
ヤン・ブリューゲル&ピーテル・パウル・ルーベンス 作
ちなみに、人間は6日目につくられ、
アダム(男)とエバ(女)が誕生します。
自分の胃袋は、もはや焼肉しか受け付けない状況を例えた神‥
出典は新約聖書(マタイによる福音書)からです。
意味としては、
「新しい内容や思想を表現するためには
それに応じた新しい形式や方法が必要」
という内容で使われる事が多いです。
昔はワインを革袋に入れていたので、
まだ発酵を続けて炭酸ガスを出している
新しいぶどう酒を、弾力性を失った古い革袋に
入れてしまうと、ガスの圧力で袋が破けてしまう
ことから、このような言葉が生まれました。
マンガでは、「明日は焼肉」と
決めていた胃袋には焼肉を
と、神(鳩)が聖書に例えた主張をしています。
イエスの言った「子羊」という言葉を神が勘違いしてしまい‥
神に喜ばれる犠牲(捧げもの)として
先ほど解説した「カインとアベル」の話から
肉(羊)が大好物と一般的に思われています。
しかし、神が個人的な好みで良い・悪いを
判断するほど単純な思考の持ち主だったら大変ですよね?
神は捧げものそのものではなく、
捧げた2人の心の中、彼らがどのような気持ちで
捧げたのかを見出した結果、羊を選んだと読み取る事ができます。
「贈る相手の事をどれだけ考えて最善を尽くせるか‥」
私たちの日常にも当てはめる事のできる話ですね。
素手で鉄板の焼きそばを調理したり、
火のついた炭を触るブッダの行動を説明するイエス‥
マンガ中では、ブッダの得意技として
「苦行」がよく取り上げられますが、
これは「火系」の苦行ですね、
自分の身体を痛めつけることによって
精神を高める宗教的な行為とされています。
いくつかある苦行の種類の中で、
手のひらに油をためて火をつけ、じっと
熱さに耐えるといったものもあったようです。
インド人であるブッダですが、
手で食事をする文化とは違う「苦行林文化」
だと、イエスは区別して説明してくれていますね。
バーベキューの後片付けをしようとしたけど、
みんなに「いいよ」と言われ、手持ちぶたさになったイエス‥
後のセリフでブッダが
「手持ちぶたさだから洗うもんじゃないだろ」
と突っ込んでいますが、
「足を洗う」という行為は
気候の暖かい古代中東で食事をとる前に
しばしば行われた歓迎ともてなしの行為です。
キリスト教においては、
ある女が(マリア)イエスの足を
涙で濡らして自分の髪の毛でふき取り、
イエスの足に口づけしてから香油を塗った
という有名な聖書の一説があることから、
その行為は卑しい奉仕の行為として
クリスチャンの心に刻まれた教えでもあります。
10巻その66☆クロッキー・ア・ゴーゴー
マンガの為にデッサン人形で人体の関節を研究するブッダ‥
紀元前のインドの人達は、
悟りを経たブッダの超越した人格を
人間の姿では表せないとして、
三十二か所の身体的特徴をもって表現されました。
その中の6番目の特徴として、
手足柔軟相(手足が柔らかい)
という特徴があります。
マンガ中のブッダがたびたび関節をはずしたり
できるのも仏の三十二相が元になっています。
(マンガの設定では、三十二相が
天部の梵天さん達のプロデュースということになっています。)
デッサン用の石膏像を知り合いだと言うイエス‥
「ジョルジョ」という人物は、
聖ジョルジョ(ゲオルギウス)と呼ばれる
カッパドキア出身の実在したローマ軍人です。
ローマでまだキリスト教が異端だった時代に
キリスト教を崇拝した罪で303年頃に処刑され、殉教者となりました。
女性の乳房にテンションの上がらないイエス‥
聖書を主題とした名画は沢山ありますが、
キリスト誕生を描いた名画の中で、
慈悲深い聖母マリアと幼子のイエスは
画家が好んで描く主題でした。
「薔薇垣の聖母」作 シュテファン・ロッホーナ
確かにテンションは高くないようですね‥(^-^;
デッサンを描くときにアタリをつけたところ、イエスの顔が浮かび上がる奇跡が‥
キリスト教でよく聞かれる
「祝福」という言葉ですが、
一般的な意味とは違い、
「神が自らの恵みを授けること」
だとされるようです。
十字を切る行為は、司祭が信徒を
祝福するときも画かれます。
マンガの中で、キャンバスにイエスの顔が
浮かび上がる奇跡は聖骸布(せいがいふ)
の現象だと思います。
聖骸布とは、ゴルゴタの丘を
目指して歩くイエスの顔を
ヴェロニカという女性がハンカチで
ぬぐったところ、イエスの顔が浮かび上がったと言われる布です。
デッサンの線をぼかすために渡されたもの…
デッサンは木炭や鉛筆を使って描きますが、
木炭デッサンの場合には
柔らかい練り消しゴムや、パンの耳を使います。
(パンの中の白い部分はお腹が空いたときに絵を描きながら食べたりしていますよ)
イエスにとってパンは「私の肉」という
表現をしていますが、キリスト教において
パンは十字架にかかったイエスの身体をあらわします。
キリスト教では聖餐式というものがあり、
そこでパンとぶどう酒をいただきますが、
このパンとぶどう酒は
「パン=イエスの肉」
「ぶどう酒=イエスの血」とされ、
聖餐式においてイエスが食べ物・飲み物
となってその人の中に生きるという意味が
あるようです。
ブッダがモデルさんを真剣に描けば描くほど‥
マンガのブッダが集中したり、
本気をだしたりすると、神通力を発揮することがあります。
イエスのようにブッダも奇跡を
おこす能力があり、「六神通」と呼ばれる力を持っています。
その中に「天眼通」という能力があり、
望むままに様々な場所を見通すことができるので
モデルさんの身体の中まで見えてしまったようです‥
10巻その67☆寝耳にぬるま湯
2人が住むアパートにやって来た騒音アンケート
の人が知り合いだと気づいたイエス‥
サンダルフォンは大天使の1人で、
誕生を控えた胎児の性別を決める天使とされる事もあります。
天に達するほどの巨大な姿で、
ミカエルと共にサタンと戦う役割も担っているようです。
実はサンダルフォンは双子で、
「メタトロン」という兄弟がいます。
2人とも天使特有の名前である「~エル」が
ついておらず、人間の身でありながら天使に
なったという人物で、
サンダルフォンの人間時代の名前は
「エリヤ」と呼ばれていたそうです。
10巻その68☆新しき葡萄酒の日
冒頭文より…
カナの婚礼でワインが尽きた時 聖母マリアがそれをイエスに告げると
イエスは桶の中の水をワインに変えた
水をぶどう酒に変えた奇跡の話
ですが、何度がこのサイトでもご紹介しましたね。
「カナの婚礼」作 パウロ・ヴェローゼ
この婚礼の席でイエスが最初に起こした奇跡
として水をぶどう酒に変えるというエピソードがあります。
(ヨハネによる福音書・2章1節~12節)
現在もイスラエルのカナに建つ協会で、
イエスの奇跡を記念に建てられました。
フランチェスコ修道会の教会と
ギリシア正教会の2つの婚礼教会があり、
現在もそこで結婚式を挙げることができるそうです。
ボジョレーを飲みたい母・マリアと一緒に
レストランへ来たブッダとイエス‥
サイゼリヤにはルネッサンス絵画が
数多く飾られていますが、
聖書を主題にした作品が多く
見受けられます。
マンガ中に出てきたのは
「天使たち」 作 ラファエロ です。
女性に対して好意をもたれないように
ドン引きされる行動をとるアナンダ…
アナンダのモテモテぶりは何度か
ご紹介しましたが、
そういったモテ男であることを
本人はよく思っていないので、(アナンダはブッダ一筋)
マンガのアナンダは女性に会うと
自ら嫌ってもらえるように手を尽くします。
(ブッダはこれをセルフネガキャンと言ってます。)
目が合うと不安なのは、
ブッダの話を聞きに来た女性が、
耳だけは話を聞き、目はアナンダにくぎ付けだった事があり、
教えの場を乱してしまった事からブッダに
「女性の目をみてはいけない」
と言われてしまった経験があるからです。
(アナンダの詳しいお話はこちら)
⇩
ブッダの弟子アナンダはどんな人?美男子(イケメン)でモテた?
最初に触れたものが至高(しこう=この上なく優れている)
であると話すペトロ・アンデレの2人…
福音書の種類として、
・マルコによる福音書
・ルカによる福音書
・マタイによる福音書
・ヨハネによる福音書
がありますが、
実は「ペトロによる福音書」
というのが存在します。
19世紀末にエジプトで発見された
パピルス冊子の中にその一部とみられる
写本が発見され、内容としては
キリストの裁判の最期の部分~
復活したイエスが姿を見せる直前で途切れおり、
このペトロによる福音書は、
キリスト教の聖典に取り入れられなかった
外典に属する福音書とされています。
ヨハネの書いた福音書がよくできていると話すペトロとアンデレ…
ヨハネによる福音書は
マルコ・ルカ・マタイの
それぞれの福音書とは一味違う存在で、
執筆年代が遅く、
他の3つの福音書に比べて
神とイエスの関わりの部分に力の入った
神の子イエスの姿を強調した内容になっています。
「主(イエス)に愛された弟子=私」といった
聖なる自己主張wwは、
自分が書いたヨハネによる福音書の中で、
イエスとの親密さを意図的に表すための
表現として使ったと思われます。
ヨハネは弟子の中で唯一処刑を
免れた人物で、天寿を全うしています。
1人だけ殉教していない事を
遠回しに批判されたと思ったヨハネが…
ヨハネの怒っている相手はペトロとアンデレです。
2人ともそれぞれの時期に十字架に磔にされていますが、
ペトロは悪名高いネロ皇帝の時代に
ローマで逆さ磔にされたと言われています。
イエスと同じ十字架刑は恐れ多い
として逆さ十字にしたという説があり、
その十字架は「聖ペトロ十字」と呼ばれています。
一方、アンデレはX字型の十字架に磔にされた
という言い伝えがあり、
ギリシアで活動中に殉教したとか、
イスタンブールの初代監督になった後に殉教したとか諸説あるようです。
そして、その十字架は
「聖アンデレ十字」という名前がついています。
まとめ
宗教用語に関しては、当サイト管理人は
専門家ではありませんので、
あくまでも簡単な知識程度の
感覚でご理解いただきたいと思います。
宗教への理解や解釈の違い等があると
思いますが、「聖☆おにいさん」を
より楽しく読む目的で記事を書いたことを
ご理解いただけたら幸いです。
(続きの10巻後編はこちらです)
⇩
聖☆おにいさん10巻の元ネタ解説・宗教用語!後編その69~その72