聖☆おにいさん(セイントおにいさん)
のマンガに出てくるブッダやイエスの
宗教ギャグの元ネタを解説します!
まだ知らない方が読まれた場合、
ネタバレになってしまうので、
1巻の内容をまだ知らない方は
ご注意下さい。
※過去記事で解説した用語は省略させて
いただくことがありますのでご了承ください。
なお、この記事は非公式です。
この記事の1つ前の元ネタ(1巻前編)
⇩
聖☆おにいさん1巻の宗教用語・元ネタ解説!前編その1~その4
1巻その5☆Oh my ホビー
ブッダがmixiをしていた際に、昔の
出来事を思い出して心の中で一言‥
「イエスのマイミクの
「ゆださん」って人の足跡が
ひんぱんで
怖かったってのはあるけど‥」
ユダ(ユダ・イスカリオテ)とは、
イエスの側近の弟子で、
12使徒の中の1人です。
金欲に目がくらんだユダが、当時の
祭司長たちに銀30枚と引き換えに
イエスを売り渡すという
裏切り行為をしたために、
イエスは罪をきせられ裁判にかけられ、
死刑に処されます。
ユダはイエスに仕えていた際には金庫番
をしていましたが、
自分の懐へくすねる行為もしていました。
イエスへの裏切り後に、ユダは自殺した
とされています。
アパートで何か食べ物を探していたら
ブッダが乳がゆのレトルトならあるよと
イエスに教えてあげる場面‥
「てゆうか 初めて乳がゆを
ごちそうしてくれた人なんだけど‥」
ブッダが断食の苦行の中、餓死寸前まで
自分を追い込んだものの、
自らの体を痛めつけるだけの苦行では
悟りは開けないと修行を放棄します。
そこへ、
スジャータという娘が乳がゆを
差し出して、
それを食べたブッダは
生き返るように生気を取り戻し、
その後悟りを開いたという話しは有名です。
お腹が空き過ぎたイエスに対して、
ブッダが「はい夕飯」と石と水を
イエスの目の前に置いて一言‥
「石をパンに 水をぶどう酒に
できたよね?」
石をパンにする話は、聖書に出てくる
「悪魔の誘惑」の話からです。
40日間何も食べてないイエスに悪魔が
「あなたが神の子ならば、石を
パンに変えよ」と誘惑します。
確かに神の子なので
石をパンに変えるのは可能です。
しかし、イエスはその言葉に従うと
悪魔が勝ってしまうので、
イエスは
「人はパンだけで生きるものではない
主の口から出るすべての言葉によって
生きる」
と言ってみごとに悪魔の誘惑を拒絶します。
そして、水をぶどう酒にかえる話は
聖書の「カナでの婚礼」でのイエスが
おこした水をぶどう酒にかえてしまう
奇跡のお話しです。
結婚式に招待されたイエスが、
ぶどう酒が足りなくなった際に
「水がめに水をいっぱいに入れて
それを汲んで宴会の世話役の
所へ持って行きなさい」
と召し使いに言って、運ばせます。
世話役はぶどう酒に変わった水の
味見をしたという話。
(とても美味しいぶどう酒だったようです)
お皿を持ったイエスに1匹の猫が
自らを食べてほしいと皿に横たわり、
もう1匹の猫がマッチを持ってくる場面‥
「しないよそんなバーベキュー」
「押し入れの中に乳がゆもあるからっ!!」
このマンガでしばしば
動物が自らを犠牲にするような行動をとる
シーンがありますが、
聖書に「生け贄は身代わりである」と
されており、
すべての人間には罪があるから
救われる必要があるという聖書の
前提があり、
罪を精算するために大事な動物を
生け贄えにしたとされています。
とはいうものの、
永遠になくならない人間の罪に対して
動物を生贄にし続けるしかなく、
その解決方法が罪の無い人間の
生け贄えにより、
全人類の罪を肩代わりするというものでした。
その人間は神の子イエスであり、犯罪者として
十字架に貼り付けられて刑死します。
こうしたイエスの犠牲によって、
全人類は救われました。
そして、キリスト教の最初の歴史に
「神自身を生け贄えにしたので、
キリスト教では今後動物の生け贄えは必要
ない」とされています。
1巻その6☆サマージャム、市民館
プールに来たブッダが本気で泳ぐシーン
での一言
「日常的に沐浴(もくよく)してたからね‥
ガンジス川のランブルフィッシュとは
私のことだよ」
沐浴については、
ブッダが6年苦行をした山林を降りて、
倒れた際に
スジャータから乳がゆを捧げられ体力を
回復したとあります、
そして付近のネ―ランジャラ―河で
沐浴をしました。
このネーランジャラ―河は
ガンジス川の支流とされています。
ランブルフィッシュは、別名「ベタ」
とも言われ、
見た目が美しいが闘争性を併せ持つという
原産地がタイ・カンボジアの魚。
オス同士では相手が再起不能になるまで
死闘を繰り広げるそうです。
鑑賞魚としても人気で改良品種も多く、
各地で美しさを競うコンテストもあって、
(体長7センチ)赤・青・白・黄・黒
など色んなカラーがあります。
カナヅチ(泳げない)のキリストにブッダが‥
「川で洗礼受けたって言ってたから
てっきり‥」
イエス:
「ヨハネさんがどんどんハードルを
下げてくれるのが申し訳なかったよ‥」
イエスが洗礼者ヨハネから
ヨルダン川で
洗礼を受けた出来事が、
生涯エピソードの重要な1つにあります。
洗礼とは、身体を水に浸したり、
頭部に水を注いだり、頭に手で水滴を
つける事を言い、
イエスが洗礼を受けた後に天が開けて
神の霊が鳩となってくだり、
「イエスこそ自分の子である」と、
神の声が聞こえてきます。
ここからイエスの公生活が始まった
とされています。
※マンガの中でイエスが鳩に向かって
「父さん」と
呼ぶのもここからきていると思われます。
イエスの布教時代の出来事で、当時を語る
イエスが一言‥
「気合いで5km湖面を歩いたからね」
キリストの弟子たちの乗った船が
向こう岸まで行く途中に、
湖の真ん中で逆風にさらされ、
こげない状態になってしまいます。
するとキリストは湖の上を歩いて
彼らに近づき、驚く弟子に
「恐れる事はありません。
ここにいるのはわたしです」
と言い、弟子に招き入れられて
イエスが船に乗ると風が止み、
向かい岸のベトサイダに
着くことができたという奇跡のお話しです。
プールで頭をもぐる練習をするイエスが
水嫌いの為におこした奇跡‥
「アーーーーメン!!」
※アーメンというとマンガではプールの水が
真っ二つに割れます。
アーメンとは、簡単にいうと、
真実であり確実だという意味で、
「そのとおりです」
「これが自分の心からのお祈り
であることに間違いありません」
という思いがこもった誓いの
言葉です。
マンガで水が真っ二つになる元ネタついては、
モーセという指導者が、
ユダヤ人を守るためにエジプトの王や厳しい
荒野の自然から神の力を借りて
エジプトから脱出する話が
旧約聖書の「出エジプト記」
からイメージできます。
モーセが手を海に向けて
差し伸べると海が割れて道が出現
するという有名な奇跡です。
この奇跡はあくまでも神の力であり
モーセはただの人という扱いです。
サウナで極道の人とイエスが意気投合、
イエスが聖痕の理由を聞かれて一言‥
「国の偉い人達に磔刑(たっけい)で」
どこで刑を受けたのか聞かれてイエスが‥
「ゴルゴタです」
さらにイエスは
「あ でも私は3日で復活しましたけど」
磔刑とは、はりつけの刑の事です。
キリストは十字架刑に処され、
その残忍性の為、反逆者のみが受ける
重い刑でした。
その刑を受けた場所がゴルゴタの丘
とされ、326年にこの地にあった
ウェヌス神殿で聖十字架と聖釘などの
聖遺物が発見されたとも言われています。
一度死んだイエスは通説では3日目
に復活したとされています。
金曜日に死んで、土曜日(安息日)を
挟んで日曜日に復活とも言われ、
イエスの墓に女たちが行ってみると
身体がなかったと伝えられます。
1巻その7☆ブッダとイエスのできるかな
ブッダが天界で書いたマンガを
思い起こして一言‥
「砂絵だったからね‥
描いてくそばから消えていったよ‥」
「諸行無常を噛みしめた‥」
チベット仏教にて砂絵曼荼羅という
ものがあります。
大切な儀式に際して仏教の僧侶たちが
5色の砂を使い、7日間かけて
極色彩の曼荼羅を描きます。
それを行う僧侶は驚異的な集中力と
忍耐力が求められ、完成させていくのですが、
儀式が終わるとその
砂絵は一瞬にして崩してしまいます。
川に流してしまうのです。
諸行無常の意味としては、
「諸行」がこの世の一切の現象を
差し、
「無常」は一切は常に変化し、
不変のものはないという意味です。
一般的なブッダとイエスのイメージに
一言文句があるイエスが一言‥
「おわん片手に「おかわり!」とか
どうかな」
ブッダがツッコミをいれる
「おわんが意味深すぎて論争になるよ!」
おわんの事を「聖杯(せいはい)」
のこととして2人がやり取りしている
とすれば、
イエスがゴルゴタの丘で磔刑に処された
際に足元から滴る血を受けたと
言われるのがその聖杯です。
この杯は、「最後の晩餐」の時にイエスの
食器として使われたものとされます。
この杯に注がれた飲み物を飲み干すと
たちどころに傷や病を癒し、長寿と若さを
授けるといわれます。
さらにブッダが続けて‥
「左の頬を殴られたら左の頬を
殴り返しそうだもの」
「右の頬を打たれたら、
左の頬を差し出しなさい」
というイエスの有名な言葉。
一切の出来事は
神の魂の育て・鍛え
であるから進んで受け取って
行きなさいという意味。
選挙ポスターの様なブロマイド
のブッダの文章
「産声は、天上天下唯我独尊」
お釈迦さま(ブッダ)は産まれてすぐに
7歩あるいて天上天下唯我独尊
(てんじょうてんげ・
ゆいがどくそん)と言ったという
言い伝えがあります。
意味としては諸説ありますが、
「自分という存在は誰にも変わる事
のできない人間として生れており、
この命のまま尊い」
という意味です。
間違った解釈がされがちですが
「この世で一番尊いのは自分だけ」
などという自己中心的・傍若無人な
意味ではありません。
ブッダが趣味のマンガを描いて‥
「う‥うん そう
弟子のアナンダをモデルにしたんだ」
阿難(アナン)もしくは
阿難陀(アーナンダ)とも
呼ばれ、
釈迦の十大弟子の1人です。
アナンダは美男子ゆえに女難を
被ることが度々ありましたが、自身の
身を護り修行を全うします。
出家後、釈迦が死ぬまで25年間
常に側にいて身の回りの世話をしました。
弟子の中で釈迦の説法を最も多く
聞き、よく記憶していたことから
「多聞第一」と言われたほどです。
(アナンダをもっと詳しく読むにはこちら)
⇩
ブッダの弟子アナンダはどんな人?美男子(イケメン)でモテた?
ブッダの描いたマンガに笑いすぎてイエスの
いばらの冠が開花してしまい、ブッダが‥
「って ええっ冠のバラが満開に!?」
いばらの冠が何で作られているかは
明確には分からないのですが、
イスラエルのいばらで作られたなど、
諸説あって確実なものがありません。
いばら=バラ科バラ属ということで、
マンガではバラの花が咲く設定に
なっているのだと思います。
1巻その8☆秋の聖際
朝支度の遅いイエスにブッダが‥
「君も螺髪にすれば起床1分で
出かけられるのに‥」
螺髪(らほつ)
仏さまによくみられるパンチパーマ
みたいな髪形です。
言い伝えによると長い髪を右巻きに
巻かれていたそうです。
ブッダがお祭りの景品で心の叫び‥
「一度でいいから
動物に冷たくされたいんだよ!」
ブッダ(釈迦)の教えを聴くために
人だけでなく
夜叉や動物も聞きに集まったとされる
言い伝えや、
涅槃(釈迦の死)の際には弟子や民、
多くの動物が亡きがらに寄り添い
その死を悲しんだとされることから、
動物からもブッダはとても愛されている
のがよくわかります。
しかし、マンガのブッダはすぐに動物から
懐かれることに満足できなくなり、
逆に動物から一度冷たくされたいと
ねじれた願望をもつ設定になっています。
テンションの上がったイエスが‥
「アガペー!アガペー!!」
アガペーとは、
神の人間に対する「愛」
を表す意味です。
利益や計算なしの「無償の愛」
を言います。
まとめ
宗教用語に関しては、当サイト管理人は
専門家ではありませんので、
あくまでも簡単な知識程度の
感覚でご理解いただきたいと思います。
宗教への理解や解釈の違い等があると
思いますが、「聖☆おにいさん」を
より楽しく読む目的で記事を書いたことを
ご理解いただけたら幸いです。
この記事の続きの元ネタ(2巻前編)
⇩
聖☆おにいさん2巻の宗教用語・元ネタ解説!前編その9~その12
この記事の1つ前の元ネタ(1巻前編)
⇩
聖☆おにいさん1巻の宗教用語・元ネタ解説!前編その1~その4