聖☆おにいさん

聖☆おにいさん2巻の元ネタ解説・宗教用語!後編その13~その15

聖☆おにいさん(セイントおにいさん)
のマンガに出てくるブッダやイエスの
宗教ギャグの元ネタを解説します!

まだ知らない方が読まれた場合、
ネタバレになってしまうので、
2巻の内容をまだ知らない方は
ご注意下さい。
※過去記事で解説した用語は省略させて
いただくことがありますのでご了承ください。
なお、この記事は非公式です。

この記事の1つ前の元ネタはこちら(2巻前編)
       
聖☆おにいさん2巻の宗教用語・元ネタ解説!前編その9~その12

2巻その13☆天国に一番近い公園


悪ぶって尾崎豊の歌をブッダアレンジで歌うイエス‥

「夜中に祇園精舎の窓を割って回る」

「とにかくもう 王宮や邸宅には
帰りたくない‥」

今夜出家の計画を立てる‥‥あっ!?」

ブッダが落ち込み‥

29の夜かぁ‥」

 

祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)とは、

コーサラ国のスダッタという長者が
ブッダ(釈迦)の教えをきかせていただく
精舎を寄進したいと考え、

それにふさわしい土地を見つけるのですが、

その土地はジェータ太子のもので、

「この土地に金貨を敷き詰めたら
売ってやってもいいが‥」

と言われ、スダッタは本当に
黄金を敷き詰めました。

その姿にジェータ太子の心は動かされ、

精舎は建てられ、沢山の人がブッダの
教えをきくことができました。

この精舎を「祇園精舎」といいます。

 

そして、王宮や邸宅と言う部分は、

ブッダは釈迦族のスッドーダナ王と
マーヤ王妃の子供で、ヒマラヤのふもとの

カピラ城という
お城で王子様として育ちました。

誰よりも贅沢に恵まれた暮らしをし、
冬・夏・雨期のそれぞれを過ごす
宮殿も作ってもらい、

美味しいものを食べ、美しい女の人達の踊りが
毎日続くような暮らしをしていました。

しかし、当時のブッダは少しも
楽しくなかったと言います。

 

出家をした29の夜という部分は、

ブッダが裕福な暮らしに幸せを感じず、
思い悩んでいた頃の話です。

ブッダは、隣の国の若くて綺麗な
ヤソーダラーをお嫁さんにもらい、
ラーフラという男の子を授かります。

ある日ブッダが東の門から外にでると
真っ白な髭をはやしたヨボヨボの
老人に出会いました。

何日かして南の門から外に出ると
苦しみもがく病人に会います。

別の日西のもんから外に出て、
死んだ人にあいます。

そして北の門から出た日、
修行者をみました。

その修行者は、

「私はみんなの苦しみを取り除いて
しあわせになれる道を求めているのだよ」

と教えてもらったところ、
ブッダは自分も本当の道を求めなければと、
何日も考え、

ある夜、眠る妻子に別れを告げ、
そっと愛馬のカンタカに乗って城を出ます。

城を出たのは
29歳の時のお話しです。

 


 

イエスがブッダに悪口を言って‥

「私はなんて罪深いことを‥
天の扉は閉ざされた‥!!」

 

イエスがヨハネから洗礼を受けた際に、
水の中から上がるとすぐ天が裂けて

霊が鳩のように自分に降ってくるのを見ます。

すると

「あなたはわたしの愛する子
わたしの心に適う者」

と、天から声が聞こえてきたといいます。
(マンガに出てくるイエスのお父さんは鳩の姿)

イエスの洗礼の特別な部分として、
天の門、天の扉が開かれ、天と地の
間に神によって通路が作られたとあります。

2巻その14☆聖地巡礼

 

冒頭文より‥

ベツレヘムブッダガヤ

 

ベツレヘムは
イエスが生まれた場所とされ、

エルサレムから10キロくらい離れた
ところに位置する場所にあり、

中心の広場には「キリスト生誕教会」
がある聖地です。

 

ブッダガヤ
インドのビハール州にあるガヤーの都市。

このブッダガヤはブッダが苦行を棄て、
沐浴をしたネーランジャヤー河のほとり
にあって、

悟りを開いた地として有名で、

仏教では最高の聖地とされています。

 


 

日本での聖地を聞かれたイエスが‥

「‥黒島で何か買う物ある?」

 

黒島にキリスト教が伝わったのは
三百十数年前と言われています。

戦国時代に広まったキリスト教は
大名たちにとっては、国を治める
中で不都合な部分が含まれていた為、

秀吉や、家康によって、
「キリスト禁止令」が出されました。

そして、その弾圧は厳しさを増して
行くようになり、

当時の長崎・黒島も例外では
ありませんでした。

弾圧を逃れたキリシタンは、ひそかに
信仰を続けていましたが、

江戸幕府が
禁止していたキリスト教を信仰する
信者を見つけ出すために、

踏み絵という手法を使いました。

踏み絵には、木製や金属板の板に彫られた
イエスやマリア像を利用し、

年に数度「キリシタン狩り」として

その踏み絵が彫られた板を踏ませて
拒んだものを「キリスト教徒」として
逮捕・処罰されました。

その後、役人の前では絵を踏むが、
密かにイエスに祈って許しを請う

「隠れキリシタン」

が表れ始めます。

その後、日本におけるキリスト教弾圧は
明治6年頃まであったとされます。

 


 

衝動買いを我慢したイエスにブッダが‥

「よくぞ悪魔(マーラ)
退けましたねイエス!」

 

ブッダが悟りを開くまでの間、
いろいろな悪魔(マーラ)が誘惑して
悟りの境地への道を塞ぎにかかります。

そして最後に悪魔(マーラ)は

「瞑想をとめなければ命を奪うぞ」

と恐怖の揺さぶりをかけてきます。

しかし、ブッダが命に対する執着すら
ない事を知った悪魔はブッダの心を
砕く事が出来ないと知り、消え失せます。

(マンガでは誘惑や迷いの事を
悪魔(マーラ)と表現していますね)

 


 

イエスの服をお店に置いてきてブッダが‥

「いつかバチカン
納めてもらえるといいねぇ‥」

 

バチカンは、
カトリック教会の総本山
であり、
世界最小の国としても有名。

国土全体が世界遺産で、
サン・ピエトロ大聖堂、バチカン宮殿、
システィーナ礼拝堂、バチカン美術館
があります。

 


 

ブッダがクレーンゲームで‥

「あーーでも 前と同じだ‥
他のもついてきちゃって‥」

 

マンガの中でクレーンゲームの人形が
次から次に釣れる状態を、

芥川龍之介の児童向け短編小説

「蜘蛛の糸」

と絡めています。

あらすじをご紹介します。
     ⇩

罪人のカンダタという男が
血の池地獄で浮き沈みしていました、

生前、人殺しや放火もする大泥棒で、
今は地獄でもがき苦しんでいます。

ある日お釈迦さまが散歩中に
蓮池の底を除いてみると、
地獄で苦しむ沢山の罪人が見えました。

その中のカンダタをお釈迦さまは
覚えていました。

カンダタは1つだけ生前に善行を
していたからです。

それは、蜘蛛を踏みかけた時に
助けたことでした。

根っからの悪党ではないと考えた
お釈迦さまは、

カンダタに極楽へ上がるチャンスを与えます。

極楽から蜘蛛の糸を一本垂らして
地獄へと静かに垂らしました。

自分の上に垂れてきた糸を見つけた
カンダタは、喜んで登りますが、

下を見てみると、他の罪人たちも
登ってきているではありませんか。

何百、何千という罪人の重さに
蜘蛛の糸が耐えれないと思ったカンダタは、

「この蜘蛛の糸は俺のものだ!
降りろ降りろ!」

と叫びます。

するとその途端に蜘蛛の糸はプツリと
切れて、

元の地獄へと真っ逆さまに落ちていきました。

その様子を極楽から見ていた
お釈迦さまは悲しそうな表情を
浮かべて、蓮の池から立ち去ったそうです。

以上が有名な「蜘蛛の糸」です。

これをNHKの人形劇で
子供の子の頃に見たことがある
当サイト管理人は、

当時いろいろと怖くて、大人になった今も
かる~くトラウマです(^-^;

 


 

炊き立てご飯を食べながらブッダがイエスに‥

人はパンのみに生きるにあらず
って言ってたから‥

 

この言葉はイエスが荒野で40日間の
断食をした時に出てきます。

悪魔が空腹のイエスに石をパンに
変えるように誘惑します。

しかし、数々の奇跡を起こしてきた
イエスにとっては、石をパンに
変える事はできるのですが、

イエスはこう言いました。

「‥人はパンだけで
生きるものでは
ない。

神の口から出る一つ一つの
言葉で生きる‥」

と言ったのです。

これについては
数々の解釈が述べられていますが、

「神の言葉は、人がパンを十分に得た状態で、
初めて神の言葉により生きる事ができる。」

という解釈や、

「神の言葉はパンの有無を超越した
レベルにおいて、
人が生きる為の重要な要素である」

とも理解できます。

2巻その15☆サンパツ沐浴ドランカー

サンパツ後のブッダの髪を集めてイエスが‥

「この量あったら漁網つくれるなぁ‥
ペトロにあげよう‥」

 

ペトロはイエスに仕える弟子の中の
1人です。

ペトロがガリラヤ湖で弟アンデレと共に
をしていて、イエスに声を掛けられて
最初の弟子となりました。

弟子の中でもリーダー的存在だった
と言われています。

 


 

銭湯に向かう途中にブッダが‥

「内見に来た時は
近くに川あるからお風呂なくても
いいじゃん!
って思ったのにね」

 

ブッダは悟りを開く為に
6年の苦行をしますが、

体を痛めつけるだけだと思い、苦行を
放棄します。

その後、スジャータからの乳がゆを食べた後に
川で沐浴して身を清めます。
その後に瞑想して悟りを開きました。

イエス
ルダン川で洗礼者ヨハネから
洗礼を受けた
後、天が開けて

「イエスこそ自分の子である」

と神の声が聞こえてきます。

2人とも、川で身を清める行為が
生涯の重要な部分に共通しますね。

 


 

銭湯で奇跡を起こしてしまい、
湯船をぶどう酒に変えたイエスが
弟子を思い出して一言‥

「あぁ‥また昔みたいに
足を洗いたい‥」

 

それを聞いた知り合いの極道さんが
イエスをかばい‥オチのナレーション

13人目の弟子は殉職覚悟です。」

 

イエスが足を洗う行為は、
洗足の場面と言われ、

当時、足を洗うという行為は最高の
謙虚を表していました。

そして、象徴的な愛の行為だったのです。

弟子を心から愛するイエスは、自分が
十字架に貼り付けられて
処刑される前の最後の晩餐の席で

弟子の足を洗う事を行われました。

これから自分の身に起こる受難を悟り、

弟子に最後まで愛していることを
示されたと言われています。

 

イエスの弟子は全部で12人で、
十二使徒と呼ばれています。

ダヴィンチの絵画「最後の晩餐」の
弟子12人をあげると

・聖バルトロマイ
・聖小ヤコブ
・聖アンデレ
・ユダ
・聖ペトロ
・ヨハネ(またはマグダラのマリア)
・聖トマス
・聖大ヤコブ
・聖フィリポ
・聖マタイ
・聖タダイ
・聖シモン

となります。

まとめ

宗教用語に関しては、当サイト管理人は
専門家ではありませんので、
あくまでも簡単な知識程度の
感覚でご理解いただきたいと思います。

宗教への理解や解釈の違い等があると
思いますが、「聖☆おにいさん」を
より楽しく読む目的で記事を書いたことを
ご理解いただけたら幸いです。

この記事の続きの元ネタはこちら(3巻前編)
    
聖☆おにいさん3巻の宗教用語・元ネタ解説!前編その16~その19

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