聖☆おにいさん(セイントおにいさん)
のマンガに出てくるブッダやイエスの
宗教ギャグの元ネタを解説します!
まだ知らない方が読まれた場合、
ネタバレになってしまうので、
7巻の内容をまだ知らない方は
ご注意下さい。
※過去記事で解説した用語は省略させて
いただくことがありますのでご了承ください。
なお、この記事は非公式です。
この記事の1つ前の元ネタはこちら(7巻前編)
⇩
聖☆おにいさん7巻の宗教用語・元ネタ解説!前編その44~その46
7巻その47☆実在を証明せよ!
イエスが昔おこなったという
大がかりな撮影を振り返ってブッダが‥
「ああ 聖骸布はどっちかっていうと
魚拓だよね」
聖骸布(せいがいふ)とは、
イエスが磔刑にて死んだ際に、その遺体を
包んだ布のことで、
キリスト教における聖遺物のうちの
1つです。
複数存在するようですが、マンガの中に
出てくる聖骸布は、
「トリノの聖骸布」だと推測します。
トリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されている
聖骸布は、全身がネガのように写されていて、
髭をたくわえた男性が映し出されており、
聖骸布のイエスには聖書の記述通りの場所に
傷の跡が見て取れるのですが、
「遺体を包んだ布に
イエスの姿が浮かび上がった」
という肝心な記述は聖書の中には無く、
信憑性については未だに不明な点も多く
残っています。
ゼウスのPVを見てブッダが‥
「和やかだね‥
ゼウスさんが牛に変身した逸話からかな‥?」
ゼウスは美しい女性にとことん目が無い
事から、様々な姿に変身してはその女性に
近づいて子供を儲けます。
牛に変身したという話は、
エウロペという美しい女王に近づく為に、
真っ白な牡牛に姿を変えたお話しです。
その牛の珍しさから興味を惹かれて、
エウロペが背中に乗ると、あっという間に
海を渡って島へと連れ去ります。
その島でゼウスは元の姿となり、
愛を打ち明けてエウロペは3人の子供を
儲けます。
その後、ゼウスが変身した牡牛は、
牡牛座となったと言われています。
神がウリエルを呼んで‥
「ウリエルよ‥
745年 過熱しすぎた天使信仰を
沈静化するために‥
お前を堕天させたことがあったな‥」
ウリエルの堕天は、
745年のローマ教会会議にて、
当時のザカリアス教皇によって
堕天使として非難されたことにより、
聖書正典に名前のある
ミカエル・ガブリエル・ラファエル以外の
天使を否定するというものでした。
これは民間で過熱しすぎた天使信仰を抑える
為のものであり、
後にウリエルは復権するが、
天使としてではなく、聖人としてであって、
現在もこの立場を変えてはいません。
ちなみにカトリック教会では
大天使・聖ウリエルと呼ぶことは
ないそうです。
7巻その48☆逸話の多い子供達
イエスが鯉のぼりを見て‥
魚は初期の私のシンボル‥
魚がなぜキリスト教のシンボルとして
使われていたかというと、
ローマ帝国の
皇帝ディオクレティアヌス(244~311)
は、当時増え続けるキリスト教徒に
危機感を抱き、迫害をはじめます。
それに反抗した者は次々と処刑されてしまい、
キリスト教徒たちはお互いを
同じキリスト教徒であると伝える手段として
マンガ中にでてくるような魚のマークを
用います。⇩
その方法は、ひとりが適当に曲線を描くと、
もう一人がそのうちの曲線の1つに
線対称の曲線を描いて魚の形を完成させる
というものでした。
「イエス キリスト 神の 子 救い主」
をギリシャ語で書いた時、
各単語の頭文字をとると「ΙХΘΥΣ」となります。
「イクトゥス」と読み、ギリシャ語では
「魚」を意味します。
その他、
現在ではこの魚のシンボルマークの事を
ジーザス・フィッシュまたは
クリスチャン・フィッシュなどと呼ばれます。
イエスが神の子を名乗る以前の生活を
思い出してブッダが一言‥
「でもそうか 君は聖人活動始めるまで
結構あったものね‥」
イエスは母・マリアと養父・ヨセフの
子供として育てられました。
マンガ中でイエスが大工仕事をして
いるのは養父・ヨセフが大工だったから
であり、
養父・ヨセフがカッコウのヒナを預けられた
親鳥に話しかける理由としては、
イエスは神の子であって、
母・マリアのお腹には聖霊の力によって
宿されたために、ヨセフにとっては
イエスは血の繋がった自分の子ではない
という事を意味しています。
※カッコウは、他の鳥の巣に自分の産んだ
卵を紛れ込ませて、数を合わせる為に
もともと巣にあった卵を1つ落としたりして
なくします。
そして、自分のヒナをよその親に育てさせる
という習性があります。
子供時代のブッダが贅沢な暮らしを
していたにも関わらず、何を見ても一言‥
「今は‥」
ブッダの父親のスッドダーナ王が
美しい踊り子や、豪華な宮殿を用意しても
子供の頃のブッダは、
「わあ とてもきれいですね!」
「‥今は‥」
といった具合にネガティブな思想を
していたという場面がマンガ中に
ありますが、
「‥今は‥」には諸行無常を訴えている
幼いブッダの真理が伝わてきます。
(諸行無常‥物事はいつか変わり、色あせ、
移ろいで行くという仏教の三大真理の1つ)
イエスが天草四郎の事を思い出して‥
「私は踏んでいません」って
まっすぐな瞳で踏み絵を持ってきて
くれたから
島原の乱(1637~1638)は
もともと年貢の苦しみに
耐えかねた農民などが切羽詰まった末に
おこした一揆だと言われています。
ただ、その大部分がキリスト教徒だった
という事で、同じ信仰を持つもの同士
強い決断力があったと言います。
その一揆の先頭に当時16歳の天草四郎が
選ばれ、大勢の農民たちを率いたと言います。
一揆をおこされた幕府側は、
結束した多くのキリスト教徒の力を恐れ、
信者を根絶やしにしようとします。
信者を見つける為に用いられたのが
「踏み絵」です。
主に九州地方で行われた
信者狩りは、イエスの姿を彫った木造や
しんちゅうの版を踏ませる方法で、
拒んだ者は信者とみなし、処刑された
そうです。
ブッダの息子が涙ながらに‥
「以前も父上は
「私が足を洗った水が飲めるか」
と嘘にまみれた私を水にたとえて
諭してくださいました」
ブッダの息子であるラーフラが
当時12、3歳の時のお話しです。
ある日お釈迦様(ブッダ)を訪ねて
一人の男の人が
やってきたのですが、お釈迦様は不在でした。
男の人に居場所を聞かれたラーフラは、
お釈迦様は托鉢に出掛けていたにも
かかわらず、
「山へ行かれました」
と嘘をついてその男の人を騙したそうです。
まだ他の修行僧よりも年齢が低く、
イタズラ好きで
お釈迦様の息子という存在だった
ラーフラは、度々こういった事をして
人を困らせては楽しんでいたのでした。
托鉢から帰って来たお釈迦様に、
ラーフラは足を洗うための水を
タライに用意します。
その水で足を洗ったお釈迦様は
少し厳しい顔で
「ラーフラよ。
お前は私が足を洗った水が飲めるか?」
と尋ねました。これに対してラーフラは、
「いいえ、飲むことはできません」
と答えると、お釈迦様は
「この水は今のお前の心だ」
と諭されました。
せっかく出家をして
清い道に進んだとしても、嘘をついて
人を困らせるという汚れた心になっては
いけないと。
その後、
ラーフラは心を入れ替えて修行して、
「密行第一」と言われるほどの
弟子になったというお話しです。
ラーフラのうぬぼれエピソードで‥
「主役は遅れて登場するものだとか考えて‥
胎内で6年ねばったんです‥」
ラーフラの
父であるお釈迦様と母のヤショーダラーが
結婚したのは、
お釈迦様が16歳の時だったと
言われています。
なかなか子供が授からなかったそうですが、
30歳目前にして
ようやく授かったのが一人息子の
ラーフラでした。
お釈迦様が出家をするのも
この頃(30歳前)です。
生まれた時期については諸説あり、
一番身ごもる期間が長い説が、
お釈迦様が悟りを開いた日に
ラーフラが生まれたといものです。
お釈迦様が悟りを開いた年齢も
幅があるのですが、
一番よく言われる年齢は35歳のようです。
そう考えると妊娠から出産まで6年もの間
お腹の中にいたという事になりますが、
お釈迦様に関するエピソードはこういった
現実離れした物が多く存在します。
7巻その49☆夏の元気なごあいさつ
イエスの言う、アブラハムのお中元の肉が‥
「息子イサク君を贈られそうになった時は‥
さすがの父さんも言葉噛んだらしいもの‥」
アブラハムというのは、
ノアから数えて10代目の子孫にあたり、
息子のイサクは
父親のアブラハムがおよそ100歳の時、
そして母親のサラが90歳の時に
神による予言を受けて出産した実子です。
しかし、
実は13年前にアブラハムとの子供が
なかなか授からなかった為に、
妻のサラは若い侍女のハガルを
アブラハムにあてがい、
イシュマエルという男の子を儲けていました。
実子を得たサラは、
侍女とその息子を疎んじるように
なっていきます。
そして、アブラハムに頼み、
その二人を追放してしまうのでした。
その数年後に
「イサクを犠牲として私に捧げよ」
という神の命を聞き、アブラハムは
葛藤したものの、イサクを連れて
モリヤの山に向かうのでした。
山頂について、愛する息子を縛り、
いよいよ息子を殺そうと刀を振りかざした
瞬間、神の御使いがそれを制します。
神はアブラハムの信仰の深さを試した
のであり、それが十分に確認できたとして
彼とその息子やイシュマエル達も
繁栄することを言明され、祝福された
というお話しです。
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
の描いた有名な名画に、
「イサクの犠牲」というものがあり、
父が息子を殺めようとするシーンと天使が
それを制するシーンがリアルに描かれています。
イエスが来客の頭に油を注いで‥
「さっ 父の油を注がれし者よどうぞ中へ」
さらにイエスが油のエピソードを嬉しそうに‥
「マグダラのマリアちゃんが
すごく高価な油を
全部頭にぬってくれた時‥
その精一杯の気持ちがとても嬉し
かったんだよね」
イエスが油を頭からかける行為は、
実は聖書に由来する、最高のおもてなしです。
イエスがベタニアという重い重病人の家に
いた際に、食事の席についていたら、
1人の女が非常に高価な
香油の入った壺を持ってきて、それをイエスの
頭に注ぎかけたとあります。
「女」というのはヨハネによる福音書では
「マリア」となっており、
マンガ中では
「マグダラのマリア」となっています。
ブッダがピーンときて‥
「99本の指を集めて
ネックレスにしちゃってたからね‥」
この話は、アングリマーラ(指の首飾り)
というインドの男のお話しです。
元々、アングリマーラは
バラモンの子として誕生し、名前は
アヒンサーと言いました。
アヒンサーは青年になり、
500人の弟子を持つ師に、弟子入りします。
アヒンサーは特に優れた弟子として、師の
寵愛を受けましたが、
ある日、師の留守中にアヒンサーに目を
付けていた師の妻から誘惑を受けます。
それを断ったアヒンサーに妻は怒り、
師に「アヒンサーから襲われた」という
嘘をつくのでした。
怒り狂った師は、アヒンサーに嘘の
修行を言い渡します。
それは、100人殺して、その死体から
指を切って集めれば修行が完成したと
認めるというとんでもないものでした。
しばらく悩んだアヒンサーでしたが、
師のいう事であればと、従ってしまいます。
99人を殺し、人々からは
殺人鬼・アングリマーラと呼ばれるように
なり、最後の100人目の犠牲として
出会った相手は他でもないブッダでした。
「止まれ」というアングリマーラに対して、
ブッダは
「私は止まっています。生き物をむやみに
殺すという行いはもう止まっているのです。
お前も止まりなさい。」
と諭したのです。
それを聞いたアングリマーラは正気を
取り戻し、過去の罪を償うべく、
ブッダの弟子となったというお話しです。
ちなみに、アングリマーラは弟子となり、
托鉢に出掛けた際に過去に殺してしまった
犠牲者の家族から石を投げられるなどの
ひどい目にあいます。
しかし、
ボロボロになりながらもブッダの言葉を
胸に、毎日耐えるアングリマーラの姿を見た
人々は、彼の過去の事情も知った事もあり、
彼が罪を悔いて戒律を守る姿に
手をあわせるようになっていった
そうです。
おみやげ選びでブッダが‥
「弟子のマハーカッサパにあげた時は‥
本当に喜んで死ぬまで使ってくれたもの‥!」
ブッダの弟子の中の1人である
マハーカッサパという人は、
弟子の中でも衣・食・住に対する
欲を捨て去る修行の達人でした。
そんなマハーカッサパは、以前に
自分の立派な僧衣と、ブッダの僧衣を
交換してもらい、一生大切に着続けた
と言われています。
ブッダの僧衣は糞掃衣(ふんぞうえ)
と呼ばれていたもので、
寄付されたぼろ布を縫ったものでしたが、
ずっとそれを着続けるマハーカッサパに
ブッダから
「あなたも信者から寄進された僧衣に
着替えたらどうですか?」
と、言われても
「いいえ、私はこれがいいのです」
と徹底した信念を貫く強さがあった
そうです。
マハーカッサパは、長老弟子の1人
として多くの仏弟子を指導した
隠れたリーダー的存在です。
7巻その50☆立ち向かえ、台風に!
台風の雨が降る中、ブッダが‥
「まぁ うちの教団は雨期には
外出禁止だったし‥
こういうすごし方慣れてるけど‥」
「アヒンサーっていう戒律があって‥
それは「命を奪わない」っていうもの
なんだけど‥
ブッダたちが雨期に外出を禁止したと
いうのは、
「安居」という集いの事です。
ブッダの教団には
アヒンサー(無害という意味)
という戒律があって、
たとえ昆虫などの虫達に対しても
殺すことはいけないという
「不殺生」を説いたものでした。
雨期の間の、虫や小動物がよく
出てくる時期に外出をして
意図ぜずに傷つけることのないよう
一門は小屋を建てて、そこに集い、
勉強会を開きながら3ヶ月間の
雨期の間を過ごしたと言われます。
ブッダの死の前年の安居は、
祇園精舎で開かれたと記録がある
ようです。
レンタル作品の評価をした人物が
ブッダによると‥
「十一面観音さんの
十一面全面のレヴューの平均だけど‥」
十一面観音は六観音の内の1つとされ、
修羅道に迷う人々を救うとされています。
苦しむ人を見つける為に頭の上に
11の顔があり、全方向を見守って
おり、それぞれの顔は様々な表情を
もっているとも言われています。
イエスが雷が落ちる事を心配して‥
「私の磔刑の直後にも
私を刑に処した神殿の垂れ幕を
まっぷたつにしたし‥」
聖書のストーリーによると、
キリストが十字架にかけられたのは
およそ午前9時のことだったとされます。
そして正午になると、
あたりは突然暗闇に包まれ始め、
午後3時にイエスは叫びます
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
(わが神、わが神、なぜ
わたしをお見捨てになったのですか)
※マタイによる福音書より
そしてイエスの死の瞬間、
神殿の垂れ幕が真っ二つに
引き裂かれ、地震が発生して
さらに岩が裂けたと言われます。
それを見た人々は、本当に
神の子だったことを悟ったといいます。
まとめ
宗教用語に関しては、当サイト管理人は
専門家ではありませんので、
あくまでも簡単な知識程度の
感覚でご理解いただきたいと思います。
宗教への理解や解釈の違い等があると
思いますが、「聖☆おにいさん」を
より楽しく読む目的で記事を書いたことを
ご理解いただけたら幸いです。